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소도(素堂)의 홋쿠(発句) 「何となう假名書習ふ柳かな」의 연구
황동원 한국일본학회 2015 日本學報 Vol.105 No.-
본고는 소도의 홋쿠「何となう假名書習ふ柳かな(어쩐지 가나를 쓰며 익히는 것처럼 바람에 나부끼는 버드나무네!)」의 시적 이미지가, 선행문예인 와카, 렌가, 데몬하이카이, 단린하이카이의 「버드나무」의 시적 이미지와 비교하여, 어떠한 특징이 있는가를 고찰한 것이다. 그 결과, 선행문예에 노래된 버드나무가 「붓」과 「문자」가 연상되는 시적 이미지를 가졌을 뿐만 아니라, 「머리카락」에 비유되어 문자를 쓰는 즉 서예를 하는 나무로서의 시적 이미지도 가지고 있었기 때문에, 소도가 자신의 홋쿠에서 버드나무가 가나문자를 반복해서 쓰며 익힌다고 노래했을 가능성이 있다는 것을 명백히 했다. 또한 홋쿠에 노래된 가나문자는 버드나무의 부드럽고 하늘거리는 생물학적 특성을 고려하였을 때, 가타카나보다는 히라가나에 가까운 것으로 볼 수 있으며, 나아가 버드나무의 긴 가지와 부드러움을 생각했을 때에는, 발음이 다소 딱딱한 「난토낫쿠(何となく)」보다는 발음이 부드러우며 긴 여운이 남는 「난토노-(何となう)」를 의도적으로 노래했을 가능성을 제시하였다. 특히 버들가지와 히라가나와의 부드러움의 공통성, 버들가지의 부드럽고 길게 늘어진 모습과 「난토노-(何となう)」가 가지는 발음의 부드러움과 긴 여운이라는 공통성을 발견한 소도의 발상은, 선행 연구에서 시도하지 않았던 새로운 시적 이미지의 추구였다. This manuscript considers the nature of the existing characteristics by comparing the poetic imagery of Sodo’s Hutku in 「Nantono Ganakakinarahu Yanagikana (Somehow it is a willow tree fluttering in the wind as though it is becoming familiar by writing Kana!)」and previous literature as Waka, Renga, Demonhaikai, and Danlinhaikai. As a result, the willow tree appearing in the previous literature contains poetic imagery reminding of「brush」and 「letter」. Since it contains the poetic image of wood used for writing letters likened to a brush, Sodo clearly defined the possibility of describing the willow tree at Sodo’s Hutku, thereby becoming familiar with Kana letters by writing persistently. Furthermore, by considering the biological characteristics of a willow tree as soft and wavy, Kana letters described in Hutku seem to be closer to Hiragana than to Katakana. By considering the image consisting of long branches and softness reminiscent of a willow tree, it suggests the possibility of describing 「Nantono」, which is pronounced smoothly and leaves lingering imagery, rather than 「Nantonaku」, pronounced stiffly, on purpose. Sodo’s idea, especially of finding similarity between the willow tree branch and the pronunciation of 「Nantono」, the symbolism of the willow figure as soft and long flowing and the pronunciation of 「Nantono」as a soft and remaining lingering image, pursues a new poetic image which has never previously been attempted in the literature.
황동원 일본어문학회 2013 일본어문학 Vol.61 No.-
本稿は、山口素堂(1642-1716)によって成立した漢詩文につき、漢詩 文において最も基本的な法則でありながら至難な法則というべき平仄を、 いかほど的確に守っているかどうか、を追究したものである。 検討の結果、次のような結論を出すことができた。 1)言語遊戯性のない作品群からは、平仄の根幹を成す 押韻 二四不同 二六対 反法 粘法 下三連 挟平格 の法則がごく僅かな個所を除け ば、整然と守られていることを明らかにした。なお、平仄法則を守ってい ないごく一部の個所は 二六対 反法 などの法則を守るために、やむを得 ず、素堂自ら選んだ間違いだった。 2)言語遊戯性のある作品群からは、全体的に考えて、作品を作るに際 して、素堂の脳裡の中に 平仄遵守 という意識は確かにあったものの、笑 いを誘うために、意図的に 押韻 下三連 二四不同 反法 粘法 などの 法則を守らなかったことを明白にした。場
부손(蕪村) 홋쿠(発句) 「蝉啼や僧正坊のゆあみ時」의 연구
황동원 일본어문학회 2009 일본어문학 Vol.46 No.-
本稿は、蕪村発句「蝉啼や僧正坊のゆあみ時」に詠込まれている「蝉」と仏教用語「僧正坊」という言葉がいかなる関連性があって一句のなかに取り合わされて詠まれているのか、ということを究明しようとしたものである。いわば、「取り合わせ」の研究である。 そして、その答えを得るために、先行文芸たる漢詩文・和歌・連歌・貞門談林俳諧・芭蕉俳諧に詠まれている「蝉」の詩的イメージを精密に分析し、「蝉」と仏教との関連性がどの文芸から見え初めるかを追究した。 検討の結果、漢詩文・和歌・連歌において最も多く詠まれている「鳴く蝉」の詩的イメージが―「人生の黄昏期に入ったことを自覚させる」、「鳴き声がさわがしい」、「望郷の思いを起こさせる」、「恋心を募らせる」、「秋を予感させる」、「命の儚さ」、「悽惻の情を起こさせる」など―貞門談林俳諧に至っては、「蝉」の鳴き声が僧侶の読経する声に似ていることから、「経典を読む声」へと変ってゆき、やがっては、僧侶そのものやお寺とも関連づけられて詠まれているのが見られた。それに蕪村の詠んだ「蝉」題発句のうち、二五パーセントに至る発句が仏教と関連のある言葉を詠込んでいることを付け加えて、蕪村は貞門談林俳諧における「蝉」の詩的イメージを意識した上で、「蝉」と「僧正坊」とを組み合わしたと結論づけたのである。
에도(江戸)중후기의 하나시본(噺本)에 보이는 골계미와 삽화에 관한 일고(一考)― 수수께끼식 본문 성격을 띤 삽화를 중심으로 ―
황동원 한국일본학회 2012 日本學報 Vol.93 No.-
本稿は、江戸時代中後期の噺本における挿画の意味をについて追究するものである。噺本のうち、検討の対象としたのは、文章の所々にその意味を推し量るしかないように工夫をした謎々の挿画を配した作品群と、文字と文章から成る本文の内容を反映した挿画を本文とは別の空間に配した作品群である。検討の結果、前者の作品群からは、読者が挿画の象徴するところを、前後の文章の意味を念頭において推し量ったり分かったりしながら作品を読んでいくうちに獲得することができる、面白さや滑稽味を目指したものであったことが分かった。また、後者の作品群からは、読者が本文の内容を熟知したうえでさらに想像力を加えて挿画を理解するように作者が工夫をしたものであり、謎解きの難易度もそれなりにあったことを究明した。なお、両方の作品群から作品の面白さを一層増すように工夫し配したのが挿画であったことをも明らかにした。そして、そうした挿画に潜んでいる難題に対しての読者の謎解きという趣向は、謎解きの性格を有する葦手․連歌․俳諧․浮世絵の中の判じ絵․歌舞伎俳優と関わる歌舞伎文様などを考察したとき、いずれのものにも適用することができる有触れたものであった。謎解きという社会の一般的な通念を、噺本の作者たちは作品を案じるに際して、拒否感なく受け入れ反映させ、作品を完成していったと考えられるのである。