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        일본문학의 특성과 渡來人의 정체

        최문정 한국비교문학회 2004 比較文學 Vol.32 No.-

        從來學問の位置を占めてきた日本文學を通史的に眺望してみると,古代文化の特性といえるような神話·呪術的要素, 武力的要素, 好色的要素が古代に限らず, 通史的に表われていることに氣づかれる. 論者は, 日本文學は, 歷史上武力の蔓延る古代や中世は神話的要素が强く, 平和時の中古と近世は好色的要素が强く表わていて, 結果的に好色的要素と神話的要素とが繰り??して表われるというような現狀を先行の論文で指摘し, 論議した. 本稿では, そのような現象に對し疑問を抱き, その背景と原因を深ることにした. そのような意圖から, 日本の古代文化が形成していった過程を深ってみたが, その過程で朝鮮半島からの渡來の波が大きく四段階になっていると指摘された上田正昭の論說に注目するようになった. さらにその四段階の渡來の時期を東アジア大陸の歷史に照らして比較してみると, 渡來の波は東アジア及び朝鮮半島の情勢變化と密接な關わりを持って行われたことに注目するようになった. 卽ち, 第一段階は, 「紀元前三世紀から紀元三世紀にかけての, 彌生文化·金屬期文化を携えての渡來であり, 各地で小王國を成立させた」という. その時期は, 東アジアの中心地に鐵器文明が渡來し, その結果, 靑銅器文明の主役であった巫俗階級が打??を受けはじめた時期である. 特に秦により中國が統一してからは, 中華から根據地を失った前代の靑銅器文明の主役たちが朝鮮半島にも移住してきたが, そのような移住の連鎖現象から朝鮮半島の南部にも立地を設けなかった部類や, 立地を奪われた部類が發生したはずであリ, 彼らが日本への移住に出かけた可能性はかなリ高いと判斷される. 第二段階は, 四世紀から五世紀めの土師器時代である. 朝鮮では, 北部の高句麗を最强として, 南部に三國, 卽ち百濟,新羅,伽羅か分立し, 日本の大和,河內,吉備,出雲,越前,??紫等の王國が朝鮮諸國との關わりを特って競合する動きを示した時代であると上田は指摘している. 古墳や遺物等で確認できるように, この古代の??明期における王國をはじめ權力の中樞は渡來人によって牛耳られていたと分析されているが, その時期は朝鮮半島からの渡來人も大物であったと判斷される. 卽ち, 朝鮮の南部地方で神權政治を執り行っていた韓王朝か369년滅亡した後, 伽羅地方に移動してから, 一部は日本に渡って分國を建設した可能性が考えられるのであり, または高句麗や國家イデオロギ一として佛敎を受け入れたことから權力から疎外された巫系の豪族たちが朝鮮半島の南部の伽羅地方等に小國を開いていて, 彼らの一部が日本に渡って分國を開拓した可能性もあったと判斷される. 第三段階は, 五世紀末から六世紀にかけての須??器であり, 伽羅の滅亡後の移住である. 第四段階は百濟,高句麗の滅亡の移住である. 五世紀末以後, 卽ち第三, 第四段階の新しい渡來人は, 旣に成立していた大和王朝に住えることになったと指摘されている. 以上の移住勢力の特徵を深ってみると, 第三段階までは主に巫系の豪族であったのであり, これらの集團が日本の古代王權の歷史と文化の主役になったと判斷される. 第四段階は高句麗や百濟の亡命人たちを中心とした移住なので巫系とはいえないし, これらの後發移住民は旣に權力を形成していた先發移住民の從屬者的な位置に留まるしかなかったと判斷される. にもかかわらず, 日本の律令國家建設はこれらの人??の管理能力によって可能であったのではないかと判斷される. 日本の律令國家建讀が當時の旣得權の必要と實力によって行われたのではなく, 百濟人等の渡來人の實力とノ-ハウによって速やかに設けられたということも重要な原因となって, 律令國家はたやすく變質, 崩壞していき, 傳統文化は延??と續いていったと判斷される. 以上の流れを東アジア及び朝鮮半島の狀況と傳承等を探ることによって論議した.

      • KCI등재후보

        일본中古·中世문학의 사상적배경의 재검토

        최문정 한국일어일문학회 2003 日語日文學硏究 Vol.47 No.2

        論者は,今まで民衆文學として評されてきた軍記物語に對し、王法佛法相依論を中心とした支配イデオロギ-が作品の主題として成立に關わっていたことを論じてきた。ところが、このような見方は從來の佛敎史の通說とは相容れないものであったので、そのような食い違いが問題として指摘される余地があった。卽ち、「この時代に新佛敎の各宗派が次??に成立し、これらの佛敎思想の影響を受けた人??の中から、多くのすぐれた文學が生み出された」というように、新佛敎=民衆佛敎が中世文學の背景であったかのような說明か通說となっていた。ところが實際は、黑田俊雄の實證的な硏究とそれに呼應した硏究成果により、旣に二十余年前にその通說は覆されていた。平雅行が指摘されたように「これまで長い間、舊佛敎·寺社勢力は古代的なものとされ、鎌倉新佛敎が中世佛敎と位置づけられてきたが、黑田俊雄氏が1975年に顯密體制論を提起し、これで舊佛敎の評價は百八十度轉換し、顯密佛敎は今や中世佛敎の中核と位置づけられるに至った」わけである。さらに近年、平雅行等は思田俊雄の硏究を一層進展させ、緻密な實證的硏究業績を出したので、そのような歷史學の硏究成果を文學硏究にも取り人れ、學際的な方法で硏究が行われていくべきであるが、そのような動きはあまりにも微弱である。高校の敎科書や參考書にも過去の通說が載っており、韓國の大學の日本文學史や日本歷の授業でも日本の敎科書や參考書の內容を檢討せず受け人れ、過去の通說を敎えているのが實情である。さらに以上の問題は中世軍記物語だけに關わる問題ではない。中世文學と宗敎との結び付きはすこぶるく、かつ深いものであったと評されており、そのような問題は中古文學にも關わっているといえよう。 本稿では、文學の學際的な硏究方法の一環として、佛敎史の新學說をまとめ、現金の日本文學史の敎科書に載っている通說が新學說により覆されていることを提示し、論者の提示した軍記の學說が佛敎學界の新學說と合致していることを見せるとともに、以上のような作業が文學史のその他の領域でも行われるべきであることを覺え書きの性格として提起し、その可能性を模索しようとした。

      • KCI등재

        임나(任那)멸망, 그 이후의 야마토정권의 외교 및 소가(蘇我)씨 멸망의 배경

        최문정 韓國外國語大學校 外國學綜合硏究센터 日本硏究所 2009 日本硏究 Vol.42 No.-

        4世紀から韓半島の南部地方を平定し、經營していた百濟の將軍木羅近資の後裔である木滿致は、百濟王權との合意下で多數の族長達を率いて日本列島に移住し、蘇我氏になったと分析されている。蘇我氏が特に6世紀半ば以降、大和政權の最高權力者になられた背景は、6世紀初め頃から廣大な任那の領地を百濟と新羅とに割讓し、そのかわり多くの物資を倭國に仕入れるようにし、國家基盤の形成に貢獻したところが大きかったためと見られる。この際、慶尙道地域の伽倻の領地を新羅に割讓した理由は、旣に532年に新羅に滅亡させられた舊金官國(南伽羅)を倭國の方に取り返し、そこに任那日本府を立てるためであったと見受けられる。任那が滅ぼされてから、蘇我氏を中心とした當時の大和政權は、卽座で武力により任那を修復することが出來なかったので、推古朝に至っては聖德太子を迎えいれ、活發な外交活動により解決を圖ろうとしたと見られる。隋と對等な面貌を誇示したり、官位12階を完成するなどの改革に勵んだが、それは何よりも韓半島からのより多くの移住民を迎え入れようとする努力ではなかったかと見受けられる。そのような努力で國家の面貌を整えることはできたが、任那を修復するまでには至らなかった。唐帝國が出兵や戰爭を禁じたのが百濟や蘇我氏を一層焦るようにし、東北亞での武力爭奪はかえって本格化したと見られる。高句麗が唐の侵略を受け始める頃、それを好機に任那侵攻に成功した百濟は、大和政權に大?的な支援を要請してきたはずである。その際、大多數の群卿大夫達は戰爭や大規模の傭兵支援等を恐れたが、蘇我氏はそれに乘り出そうとしたのではないかと推定される。それが蘇我氏の滅亡の原因であったろうと見受けられる。韓政が蘇我大臣を殺したという『日本書紀』の分註の記錄はそのようなことを語っているものと判斷される。

      • KCI등재

        사이버 무력분쟁에서 적대행위 해소의 한계

        최문정,최준성,정익래 보안공학연구지원센터(JSE) 2015 보안공학연구논문지 Vol.12 No.3

        다양한 사이버 위협들이 국제무력분쟁으로 발생하고 있다. 이에 따라 국가간의 사이버 위협과 분 쟁에 대해 탈린매뉴얼을 통해 기존의 무력분쟁법과 국제법을 적용하는 것이 가능할 것으로 논의되고 있다. 그러나 사이버 국제무력분쟁의 세부적인 형태와 개념들에 대해서는 아직 논의되고 있지 못하다. 이에 본 연구에서는 사이버 국제무력분쟁에서의 적대행위 해소의 한계에 대해 국제법적으로 검토한다. There have been cyber threatens as international cyber armed conflict. There are concerns on using international law and international armed conflict law for international cyber armed conflict and cyber threatens based on Tallinn Manual. But until now, the legal is uncertain and not mentioned about international cyber armed conflict and resolution. Because of that, in this study, we review the limitation of the resolution for the conduct of hostilities in international cyber armed conflict by international law.

      • KCI등재

        장기간의 스테로이드제제 사용으로 발생된 노르웨이옴 1예

        최문정,박현정,이준영,조백기 대한피부과학회 2003 대한피부과학회지 Vol.41 No.3

        Norwegian scabies is a rare clinical variant of human infestation with Sarcoptes scabiei, distinguished from the common form of scabies by the presence of remarkable hyperkeratotic scaly crusted skin lesions. It is often seen in the physically or mentally handicapped, immunocompromised, and institutionalized persons. We report a case of Norwegian scabies occuring in a 71-year-old man with pulmonary tuberculosis. He had been treated with systemic and topical corticosteroids for extensive generalized pruritus since about 8 months before. (Korean J Dermatol 2003;41(3) : 371∼374)

      • KCI등재

        국토창생신화와 천손강림신화의 배경 : 日本書紀 임나관계 기사의 구조와 해석을 중심으로

        최문정 한국외국어대학교 일본연구소 2008 日本硏究 Vol.38 No.-

        拙稿では、イザナミとイザナギとの二神の結合を語る神話は、大和政権と伽倻との国家 連合により、日本の各地が形成(渡來、定着、開拓)していく模様が比定されているという 構想を提示した。さらに、降臨する天孫というのは、百濟の聖明王が日本の欽明天皇に降 臨したというような、隠された歴史が比定されていると判断される。本稿では、󰡔日本書紀󰡕の任那關係記事の分析を行うことにより,,拙稿での論述の基盤をさらに固めていくことを 目指している。 任那關係記事の分析の際に閃いた着想は, 天地開闢→ 國土創生(國生み 神生み)→天石屋 戸→中つ国平定,→国ゆずり→ 天孫降臨等の順で進行する, 記紀共通の神代史の話素は, 元々 は任那を舞台にして起った事件が比定されていたのではないかということである。特に天 石屋戸の話素は、任那割讓、及び任那復興會議の前後の混亂や危機が比定されていると見 受けられた。但し、任那の土地を新羅にゆずり、その代わり、国家建設の物資を仕入れた というふうな話素は、8世紀初め頃成立した神話の論調とは合わないものであったろう。そ れで削除され、現在のような日本国内の権力の淘汰と鎮魂を語るような形に変移したもの と見受けられる。 このように、聖明王の代に一次的に百済の王権が日本進出があり、それによりはじめて 世襲制の統一王朝の基盤が固められたのである。その後、百済が完全に滅んでしまった663 年以降に、󰡔日本書紀󰡕の成立を見るようになった。そういうわけで今は存在しない百済の 歴史の一部を、大和王朝の歴史に書き換えなければならなかったはずである。即ち、百濟 が主体となった伽倻及び大和政権との交涉史を,大和政権が主体となった百濟と伽倻との交涉史に書き換える際に、百濟と伽倻とを藩國視したはずであろう。さらに、彼らにとって 一番憎悪の対象であった新羅をいち早く倭國の屬國に形象化しなければならなかったと判 断される。そしてこのような形象化は, 倭國が6,世紀に百濟と新羅とに伽倻の土地を讓り、 そのかわり物資(任那調)を受け入れた事実が、そのような歴史叙述の原動力となり、結 局、神功皇后の三韓征伐からその由来を求めるような緣起說話談で、その結実を見るよう になったと判断される。国内的にも王朝交代の名分を満たすために、アマテラス=卑弥呼の 象徴である神功皇后が住吉大神に助けられて三韓を征伐したという虚構談でもって、百済 との関係を結び始めた河内王朝の歴史を聖化しなければならなかったと判断される。 しかし、実際の任那の成立は、4世紀の百濟の伽倻7七ヶ国平定及び5世紀管理の歴史か ら求められるのであり、日本の國土創生神話、即ち国生みは、5世紀に行われた伽倻諸国の 日本移住の歴史からその根元が求められると見受けられる。さらに以上の歴史が認められ てこそ、6世紀の前半の󰡔日本書紀󰡕の記録のうち、膨大な記事量を占めている任那割譲や任 那復興, さらに6, 7世紀の任那調の叙述が何を意味しているのか、説明できるように

      • KCI등재

        재외동포 모국 스포츠교류 사업 실태 진단 및 개선 방안

        최문정,김범식,문보라 한국스포츠사회학회 2016 한국스포츠사회학회지 Vol.29 No.3

        As focusing on a national sports games which has been told to be the most popular sports exchange project that is carried out by Korea for overseas Koreans, this study looks into current situations of the project to analyze practical issues of any field in charge of the project and discusses ways to improve the issues. To achieve this objective, targeting total 12 executives and participants of Korean Sports Committees in New Zealand, China, Canada, and Spain, an in-depth interview was conducted. Results of the research have revealed that the sports exchange project of Korea for overseas Koreans have been playing a significant role in helping the Koreans experience traces of their country's development and in cultivating their pride in the country and the people. However, as for most of the issues, relevant organizations including the government are reluctant to support budgets, and that has been causing the absence of following exchanges. In the light of that, this study suggests that in order to make the most efficient and productive use of supports for overseas Koreans, first of all, rights of Sports Council of Overseas Koreans should be acquired and financial and administrative supports have to be also normalized. Other than that, the study believes that budgets to support and activate national sports exchanges for overseas Koreans should be demanded and gained. In addition, a quota system to promote constant but various exchange programs needs to be introduced and conducted. The study finally confirmed that in order to achieve all the above suggestions, legal bases to propel sports exchange projects for overseas Koreans should be immediately prepared. 이 연구에서는 현재 국내에서 재외동포들을 위한 모국의 스포츠교류 사업으로 대표되는 전국체육대회를 중심으로 사업 실태 진단을 통해 현장지향적인 관점에서 실전적인 문제를 분석하였고 나아가 개선방안을 제시하는 데 목적이 있다. 이러한 목적을 달성하기 위하여 재뉴질랜드 한인체육회, 재중국 한인체육회, 재캐나다 한인체육회, 재스페인 한인체육회를 중심으로 실무자, 참여자에 해당하는 총 12명의연구참여자들과 심층면담을 실시하였다. 그 결과, 재외동포들을 위한 모국의 스포츠교류 사업은 재외동포들이 모국의 발전상을 체험하고, 모국애와 동포애를 함양시키는 데 주요한 역할을 수행하고 있었다. 그러나 대부분의 문제가 정부를 포함한 유관기관에서의 예산지원이 미약하며 후속교류가 부재하는 등의 문제점들이 발견되고 있었다. 이에 재외동포들을 위한 앞으로의 지원들이 효율적이고 생산적인 추진력을 발휘하기 위해서는 우선적으로 재외한인체육회의 권리 획득을 통한 재정⋅행정 지원의 정상화가필요하다. 그밖에도 재외동포 모국 스포츠교류 활성화를 위한 예산 지원이 요구되어야 한다. 나아가 지속적⋅다양한 교류 프로그램 추진을 위한 쿼터제를 도입하여야 할 필요가 있다. 이를 위해서는 재외동포 스포츠교류 사업 추진을 위한 법적 근거 마련이 시급한 것으로 나타났다

      • KCI등재

        The Interpretation of The Royal Garden at the Remains of Wanggung-ri, Iksan

        최문정 한국전통조경학회 2012 한국전통조경학회지 Vol.10 No.-

        The royal garden of the remains of Wanggung-ri is similar to the common arrangement of a palace royal garden which is taken its position at the back of the palace, based on the ancient Chinese dynasty's model. Key facilities currently investigated are some water supplies involving water, such as water circulation drainage structures, a sinuous ditch and drain systems. Especially, it turned out that water circulation drainage structures had functioned as flood control depending on a stream of water. In addition, space for fresh water and ornamental purposes - enjoying the scenary - as well as related facilities such as bridge piers and pavilions will also be investigated, following the outcome of our research on the northern part. Findings on excavation so far show that water circulation drainage structures played a role as flood control, involving other facilities for conveyance of water. the territory of a royal garden at the remains of Wanggung-ri, Iksan seems to have played a role as a royal garden as it made various waterways be in complex harmony with nearby facilities, and by using water to establish the landscape together.

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