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        夏目漱石の日露戦争に対する態度についての一考察

        부백 한국일본사상사학회 2012 일본사상 Vol.0 No.23

        Russo-Japanese War (February 1904 - September 1905) caused casualty of over 200,000 people in Japan and enormous damages to over 120,000 families of the victims. This war was the world`s first war of attrition focusing on hand-to-hand combat. In addition, the tragic consequences were recorded substantially by the army soldiers who fought. Natsume Soseki (1867 - 1916) is a writer who became a literary giant for his major works of middle and later period of modern literature. However, in the early period, he left a new style poem 『Jyoogunkou』(『Teikokubungaku』, May 1905) and a novel 『shyuminoiden』(『Teikokubungaku』, January 1906) based on the Russo- Japanese War. This text explores these two works and proves the literary circles and social circumstances related to the Russo-Japanese War. Through this approach, the unique attitude of Soseki toward this war is examined in detail. In conclusion, the attitude of Soseki toward the Russo-Japanese War always includes the following two components: Weariness of war and approval of war. The former is expressed relatively stronger. However, since his attempt to clearly express his weariness of war is lacking, his attitude toward that spirit doesn`t seem to be quite strong. 本論で考察した内容を次のように纏め、夏目漱石による日露戦争に対する態度を、導出してみることにする。1904年の2月に開戦し1905年の9月に終結した日露戦争は、その緒戦である海軍による<第2回旅順口閉塞作戦>(3月27日)においてかの著名なる軍神広瀬武夫中佐を生みだしているが、この戦争に対する表象として、<肉弾戦>という言葉があるように、特にその惨害は陸戦において膨大であった。それは例えば、日露戦争の主要会戦と言える、<遼陽会戦>(1904年8月28日~9月8日)では死者5,359名負傷者17,404名、<沙河会戦>(10月8日~10月18日)では死者3,179名負傷者14,861名、第1次から3次に亘る<旅順総攻撃>(1904年8月19日~1905年1月1日)では死者11,602名負傷者18,032名、<黒溝台会戦>(1月26日~1月29日)では死者1,859名負傷者7,267、<奉天会戦>(3月1日~3月10日)では死者15,683名負傷者51,247名という凄惨たるものであり、「世界で最初の大消耗戦」として後世に記されている。また、こうした悲惨な情況は、「即死を見るに敵も見方と共角力を取りたる如く組合にしては死して候」「防御陣地を占領するときには、味方死体敵の死[体]を越えて突撃したる」「あはれ幾百の壮長血に染まりて、その屍累々たるを目撃致し候」等々、参戦した陸軍の兵士たちの記録にも残されている。このような日露戦争と関連して、夏目漱石は新体詩『従軍行』を1905年5月に、小説『趣味の遺伝』を1906年1月に『帝国文学』に発表している。『従軍行』は日露戦争の初期に主戦の国民感情を鼓舞する征露の新体詩が流行する中で、殊にそうした熱狂を高揚させた<第2回旅順口閉塞作戦>の直後創作された作品である。しかし、この詩は他の戦争詩とは位相を異にし、戦争を容認しつつも、戦争の死に対する懐疑や戦死の不安が表象されるなどの微弱な厭戦性を帯びた、いわゆる2元性を包含する作品であった。一方、『趣味の遺伝』では戦場における死のモチーフが<余>による/日露戦争の詩想/亡友浩さんが戦死した1904年11月26日の<第3回旅順総攻撃>の想像/その戦場において戦死を目の前にする浩さんの至極に悲痛な心情が綴られた軍隊手帳の挿入/を通じて非常に強く描かれ、さらには、深く神秘的な愛の想いが戦争に引き裂かれるというもモチーフや戦争遺族の悲哀に向けられた仁愛の戦争表象を示す作品でもあった。しかしながら、『趣味の遺伝』においても、死と表裏一体の兵士の惨状を崇高なものと見たり、戦争によってもたらされた不幸な現実を容許するかのような遺族の姿が提示されるなど、戦争容認の要素を一部内在する側面も認められた。このような意味において『趣味の遺伝』もやはり2元性を包含する作品であった。また、『趣味の遺伝』は、非戦主義や反戦的な文学への弾圧や統制の厳しい戦時中ではなく、そうした抑圧がある程度緩和された戦後の時期に創作され発表された作品であった。しかしながら、戦時中においても女流歌人⋅女流作家による厭戦詩『君死にたもう勿れ』(与謝野晶子、1904年9月)『お百度詣で』(1905年1月)などが発表されており、また『平民新聞』は早い時期から国民の福利のために戦争の禁絶を訴え続け、『亂調激韻』(中里介山、1904年8月)などの反戦詩を発表し、戦時中既に戦争の犠牲となった戦場の兵...

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        夏目漱石の国家主義に対する態度についての一考察(1)

        부백 한국일본학회 2013 日本學報 Vol.95 No.-

        列強対等の一等国を目指す日本の近代化は、多量かつ自我の弱い低廉な労働力と精強な軍隊を必須とする富国強兵を核心的な国策とし、君主国体の法体制․忠君愛国精神の涵養教育․家の制度の温存化などによる天皇制の強化を通じて、個人を過度に抑圧し没我に向かわしめていた。 日本の近代化の始まりとその誕生をほぼ等しくし、国家による個人への抑圧と葛藤と弾圧の時代を生きた夏目漱石は、英国留学の時期に国家主義の現実的具現である富国強兵政策と対峙する厭戦的かつ反資本主義的な認識を深め、英国留学から帰国後した後に、主に創作活動を通じて、その実践的な言動を取っている。要するに、漱石は国家主義に対して反発的な考え方を持つ作家であったと言えるのだが、しかしながら、その態度は慎重かつ巧妙すなわち韜晦的でもあり、『三四郎』と『それから』が創作される1908․9年頃を軸に転換の様相を示すものと理解される。本研究はこの時期を中軸にして前期と後期に分かれ、本稿では前期における国家主義に対する彼による態度が変化していく事象を考察し検証ている。

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        夏目漱石の『趣味の遺伝』の構造に対する一考察

        부백 한국일본사상사학회 2010 일본사상 Vol.0 No.18

        本稿では、第1章で、中心人物であり語り手である<余>が、過去の出来事について叙述しながら、読者に語りかけ・働きかけるという状況を検出し、『趣味の遺伝』の作品世界は、<<余>が過去の体験を書いている過程>であることを把握した。そして、第2章では、<余>に叙述されている話の内容の様相をできる限り詳細に把捉し、この作品が<<余>が過去の体験を書いている状況が記述されている過程>であることを検証した。またさらに、第3章では、このような作中世界をさらに精密に分析し、この作品が、<自己の才気性の社会的な評価を強く求める学者であり・恋愛感情の遺伝の理論を考案したという過去の体験を持つ <余>が、小説という形態を通じて、かような過去の体験を題材とする成功譚を書いてみたところそれがうまくいかず、結局は、前半部にインファスィスした日露戦争の戦死者・遺族のモチーフと終局部の叙述を至妙に縫合し、厭戦性の光輝する小説への転換を取ることを以て、プロットと自己顕示的な欲求の調整をは図ったという話>を中心的な事件としているということを考察した。『趣味の遺伝』は、以上のように、<過去の体験をもとに功利的な成功譚を書こうとして小説を書いている<余>が人道的な厭戦性を帯びた小説へと書き換えて行く転換の過程>が記述された作品であり、転換点が位置する終焉部以降と、前半部が連結されることで、厭戦的な構えと筋が生じている。つまり、この作品は、叙述する<余>の意識を中心として考えるならば、戦争を厭う主旨と目的を持って書かれた厭戦文学であるとは言えず、その構成に重点を置いて考慮するならば、厭戦的であるとも言える。このように『趣味の遺伝』を厳密に探究する限り、この作品は厭戦小説と言うべきなのではなく、厭戦性を帯びた創作であると論定されるべきなのであろう。

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        夏目漱石の『趣味の遺伝』における愛に対する一考察

        부백 한국일본사상사학회 2014 일본사상 Vol.0 No.27

        Soseki Natsume(1867-1916)’s short story, ‘Shuminoiden’, was published on January 10th, 1906. This study supported that ‘Shuminoiden’ was included in antiwar literature rather than romantic fantasy literature. It is because the standpoint of romantic fantasy literature only focused on the accompanying love story of surrounding peoples. As an antiwar literature, ‘Shuminoiden’ has a great many criticism of the war with the well-organized story structure. Although it was difficult to find a coherent story about love in ‘Shuminoiden’, there was a thread running through the whole story. It was a story about love, parting and inner conflict of the main character in ‘Shuminoiden’. The story began with the statement of the criticism of the war and then, concluded with an antiwar stance in the closing section. Also, based on the detailed analysis on the last part of the story, it would be hard to take ‘Shuminoiden’ as a love story in Kawakami Koich and ‘beautiful young woman’. However, when we focused on the concealed love and inner conflict of the main character (‘I who were writing’), we could assure that ‘Shuminoiden’ consistently showed the theme of love in accordance with order in the world of the story. Therefore, with a new angle on the story, this study attempted to explore the implicit motif of love in ‘Shuminoiden’ based on the main character (‘I who were writing’)’s narration. 『趣味の遺伝』は、1906(明治39)年1月10日に雑誌『帝国文学』に発表された、夏目漱石(1867~1916)の初期短編作品である。この作品の研究史には、2系列がある。厭戦文学としてみる見方と、神秘的な恋愛の物語としてみる見方である。論者は、前者の立場に同意しており、これまで、そうした視座からの研究も行ってきている。そして、主人公の周辺人物による、部分的な恋愛の物語のみに重点を置く後者の立場は、説得力が欠けるものと理解している。『趣味の遺伝』厭戦文学の構が明確であり、戦争に対する批判的な叙述が実に多量である。したがって、『趣味の遺伝』に、作中内世界を一貫するような、愛の物語を求めることは決して容易ではない。しかしながら、論者は、これまでの研究を通じて、『趣味の遺伝』に、作中を貫く愛の話が内在しているということに気付いてもいる。それは、他者によるものではなく、主人公によるものである。この作品は、その冒頭から中盤部の前半にかけて戦争への批判的な叙述で固められている。そして、終結部が厭戦の内容で括られている。また、終焉部における叙述の様相を綿密に分析すると、河上浩一と「美しい若い女」による恋愛譚がこの作品の表象する話として理解することはできない。しかし、<書いている余>がこの作品の主人公であることを着目し、<書いている余>による「美しい若い女」への愛の隠匿とその葛藤という観点から解読されるならば、作品内世界の秩序と整合した、一貫性のある愛の話の導出․考察が成立する。 本稿は、こうした新しい観点から、作中の作者である<書いている余>の叙述への分析と考察をもとに、『趣味の遺伝』の愛のモチーフの探求を試みた論文である。

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        한국과 일본의 지방창생정책 비교연구 - 관광진흥을 통한 지역경제 활성화를 중심으로 -

        부백,안준오 한양대학교 일본학국제비교연구소 2020 비교일본학 Vol.48 No.-

        본 연구에서는 한국과 일본의 지방창생 정책 중에서도 관광진흥을 통한 지역경제 활성화 부문을 비교분석하였다. 한국과 일본은 저출산과 고령화 추세와 함께 생산가능인구와 총인구 가 빠른 속도로 감소할 것으로 전망되고 있다. 그리고 OECD국가 중에서도 합계출산율이 가 장 낮은 수준인 것으로 나타났다. 또한 인구의 수도권집중과 지방의 과소화현상은 경제・사 회・문화 등 모든 분야에 걸쳐 악영향을 미칠 우려가 있다. 이러한 국가적 위기가 될 수 있는 문제에 대응하는 지방창생정책 중에서도 관광산업은 고용창출과 함께 지역경제 활성화에 기 여하는 바가 크다. 일본은 한국보다 앞서 관광입국을 세우고 세계적인 추세에 발맞추어 관광 정책의 방향과 전략을 수립하였다. 한국과 일본의 관광진흥 정책은 자연・역사・문화・종교・스 포츠・예술・산업유산 등과 지역관광자원을 연계하고, 체험 및 학습으로 활용하여 관광객 유치 에 노력한다는 점에서 비슷하다. 그러나 한국의 지방창생정책 국가균형발전법은 지역 간의 불균형을 해소하면서 지역의 특성에 걸맞는 자립적인 발전을 통하여 국민생활의 균등한 향상 및 국가균형발전에 맞추어져 있지만, 일본의 지방창생은 일본인구의 감소 및 도쿄 일극화, 고 용형태와 지역경제의 침체 등의 사회 문제가 전부 관련성 및 연계성이 있다는 인식으로부터 비롯되었기에 관광정책에 있어서도 세부적인 차이점이 존재한다. 비록 한국이 뒤쳐진 상황이 지만, 일본의 관광정책을 벤치마킹하여 보다 발전된 전략을 찾아 해결책들을 모색한다는 데 그 의의가 있다. In this study, I compared and analyzed the regional and economic revitalization attempts through tourism promotion, among the policies for local development in both Korea and Japan. Korea and Japan are expected to see a rapid decline in the number of people available for production and the total population, along with low birthrates and an aging population. The total fertility rate is the lowest among OECD countries. In addition, the concentration of the population in the Seoul metropolitan area and the gradual depopulation of the provinces are feared to have a negative impact on all areas, including economic, societal, and cultural. Local creative policies to cope with such problems, such as the national crisis, the creation of jobs in the tourism industry and the revitalization of the local economy are also significant. Japan established its tourism entry ahead of Korea and established directions and strategies for it's tourism policy in line with global trends. The tourism promotion policies of Korea and Japan are similar in that they link local tourism resources with nature, history, culture, religion, sports, arts, and industrial heritage. They make efforts to attract tourists by using them as places of experience and learning. However, while Korea's Balanced National Development Act for Local Creation Policy is designed to address the imbalance between regions, to improve national life and balance national development through selfreliant developments which are tailored to regional characteristics. There are detailed differences in tourism policies as it stems from the perception that social problems such as the reduction of the Japanese population, the unipolarization of Tokyo, issues with employment patterns, and the slowdown of the local economy are all related. Although Korea is lagging behind, it is meaningful to benchmark Japan's tourism policy to find more advanced strategies and seek solutions.

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        하목수석(夏目漱石)「 우미인초(虞美人草)」 론

        부백 한국일본어교육학회 1999 日本語敎育 Vol.16 No.1

        『우미인초』 (虞美人草)는 일본의 근대작가 나츠메 소세키(夏目瀨石,1867∼1916)에 의해 1907년 6월 23일부터 동년 10월 29일 걸쳐 아사히(朝日)신문에 발표된 작품이다. 본 원고는 연구방법론으로서, (주제도출이론) 을 채용하여, 작품의 구조적·과정적인 내부적 상황과 작품외부의 시대적·사회적 상황 등과의 유기적인 상호관계를 파악함으로써, 『우미인초』 의 작품내세계에 내재하는 주제성에 보다 객관적인 태도로 접근하는 것을 시도한 논문이다. 본 논문의 분석 및 고찰의 결과를 정리하면 주로 다음과 같다. 『우미인초』 의 작품내세계는 우리에게 배금주의를 기조로 하는 욕망으로, 결혼약속이 있었던 사요코(小夜子)를 버리고, 후지오(藤尾)를 받아들이려고 했던 오노(小野)가 그러한 행위·행동이 인도 (人道)에 어긋나다는 것을 자각·자책하여, 다시 사요코를 받아들여가는 사건을 제시해 주었다. 다시 말해, 그것은 「이해를 중시하는 문명인」 인 오노가 사요코를 버리고 후지오를 받아들이려고 했을 때, 무네치카(宗近)로부터 훈계·훈도를 받게 됨으로써, 물질만능주의라고 하는 「문명」의 「껍질」로부터 벗어나 「도의」(道義)라고 하는 정신성을 획득한 행위와 행동을 선택해나가는 과정이었다. 또한, 오노에 의한 배금주의의 문제는 그를 데릴사위로 맞이하는 것과 동시에 코노(甲野)를 내쫓고, 그의 재산을 수탈하려고 하는 후지오의 어머니와 후지오의 속셈, 그리고 그것과 동반되어 발생하게 되는 코노의 고뇌와 무네치카의 결혼문제와도 관련을 보이고 있었다. 즉, 이러한 배금주의의 문제는 『우미인초』 의 작품내 세계를 구성하고 지탱하는 주요 등장 인물들과도 유기적인 관계를 유지하고 있다는 의미에서도 작품내 세계 전체를 뒤덮는 문제였다. 그리고, 이와같은 쟁점들도 오노가 배금주의에 편중했던 인식을 도의의 방향으로 전환함으로써, 한꺼번에 급변하기에 이른다 오노의 훈계에 임한 무네치카는 그가 회개한 것을 인지하자, 자기자신도 명확히 후지오에 대한 미련을 버리며, 후지오는 자살하고, 그녀의 어머니는 회개하여, 코노는 원래대로 가독(家督)을 유지하게 된다. 이와같이, 『우미인초』 는 도의와 물질만능주의의 갈등 및 전자의 우위성이 강조된 작품인 것이다. 1868년에 성립된 일본 명치(明治)정부에 의한 근대화 정책의 가장 중대한 과제는 구미(歐美)선진자본주의 열강들과 국제사회에서 어깨를 나란히 하는 강국을 구축하기 위한 부국 강병책이었다. 경제면에 있어서, 그것은 18세기 중반에 영국에서 일어난 산업혁명을 기초 과정으로 한 자본제(資本制) 경제구조를 도입한다고 하는 형태가 취해졌으며, 1897∼1907년 경에는 그 확립기를 맞이하고 있었다. 그 결과, 일본사회에서도 당연히, 부자인가 가난한 자인가 하는것을 척도로 사람을 평가하는 사고가 과급·대두 되었다. 더구나, 구미선진제국들이 약 200년을 요(要)한 자본주의화 과정을 반세기라고하는 단기간에 달성해낸 일본사회에서는 물질만능주의를 기조로 하는 가치관이 급격히 확산되었다. 그리고, 소세키는 「無學不德義라 해도 돈이 있으면 세상에서 세력을 가지게 되는 것을 사실로서 제시한 국민은 갑갑한 덕의를 버리고, 단지 돈을 잡아 으시대려고 하기에 이르렸다니,(중략) 옛날에는 돈이 있다고 하여 사회적인 지위가 높아지는 것은 아니었건마는‥」 (1901.4)라고 이러한 상황을 달관·기피했으며, 나아가 그의 초기작품인 『나는 고양이로다』 (吾輩は猫である,1905.1∼1906.8)에서는 신랄한 금권비판을 표출하였고, 『이백십일』 (二百十日,1906.10) 등에서는 자본가 등을 가르켜, 「일차적인 목적은 이러한 문명의 괴수를 때려죽여, 돈도 힘도 없는 평민에게 조금이나마 안위를 주는 것에 있다.」라고 하는 통렬한 격어를 작렬했다. 요컨데, 소세키는 그의 초기 작품에 있어서 화급한 서구근대화의 도입과 함께 침투해오는 물질만능주의의 풍조를 정신성이 결여된 파상적인 문명으로서 예리하게 간파하여 우려하고 있었던 것이다. 그러므로, 소세키는 아시히신문사 입사라고 하는 중대한 계기에서 우선 덕의와 배금주의와의 갈등·상극(相剋)의 과정을 엮어낸 『우미인초』를 창작하여 전자의 우위성을 세상에 보여주려 했던 것이다.

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        나쓰메 소세키(夏目漱石) 『마음』의 주제성에 대한 고찰

        부백(Poe, Baek) 한국외국어대학교 외국문학연구소 2005 외국문학연구 Vol.- No.20

        The Kokoro, published in September 1914, is a masterpiece by the master writer of modern literature, Soseki Natsume(1867~1916). This thesis is a study of subjectivity of the work, The Kokoro. There are two stories inside the work The Kokoro. One is about a teacher who deceives his best friend and takes his girlfriend. The friend later kills himself and the teacher also commits suicide from the guilt. The other is about "I" who feels great affection for a teacher away from home and the affection exceeds the one for the father at home. The teacher calls himself as "revelation of selfishness" and his strategy of love which restrains his friend "K" is very egoistic, showing that his act is based on egoism. On the other hand, "I" is in a situation to choose between love for his father and affection for the teacher. "I" later chooses the latter and this act is considered to be based on liberalism which is very contrary to general morals because his father was dying. Both egoism and liberalism are based on individualism. When individualism develops self interests, it becomes egoism and when is develops individual character, it becomes liberalism. In conclusion, thoughts and acts of both the teacher and "I" are based on individualism. The Kokoro is a work which calls this being of licentious self by these two characters to account. Reference, the Japanese word 'kokoro' means 'mind' or 'heart' in English. But based on the subjectivity of this work, the word 'mind' would be more appropriate for the theme of the work.

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