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      • 明治期飜譯小說における가名遣いの考察 : 若松しづ子譯 『小公子』を中心に

        閔丙燦 성결대학교 인문과학연구소 2000 人文科學論叢 Vol.5 No.-

        본 논문은 □(가)名에 의한 표기법의 역사에 있어서 현재에 직결되는 과도기라고 할 수 있는 明治시대에 주목하여, 번역소설인 『小公子』를 비롯한 『おほかみ』, 그리고 『浮雲』를 대상으로, 각각의 자료에 보이는 표기상의 특징에 대하여 검토한 것이다. 그 결과, 각 자료에서 正書法이라 할 만한 통일된 規準을 발견하지 못했을 뿐만 아니라, 종래의 규칙 즉 「□(구)□(가)名遺ぃ」의 붕괴를 엿볼 수 있었다. 이제까지 「現代かなづかぃ」는 「□(구)□(가)名遺ぃ」에 비해 실제발음에 가깝고 기억하기 쉬운 것으로 이해되고 있으며, 「□(구)□(가)名遺ぃ」에 改善이 요구된 것은 당대의 발음을 유효하고도 편리하게 쓰기 위한 때문이라고 이야기되어 왔다. 물론 표면적으로는 그러한 목적과 성과를 인정할 수 있지만, 그러나 현실적이고도 직접적인 이유는 달리 찾아야 할 것이다. 즉 본 논문을 통해 살펴본 바와 같이, 明治시대에 이르면 하나의 사항을 시각화하는 방법으로 여러 가지가 상정되어, 민중에 대한 교육에 지장을 초래할 수도 있는 단계에까지 이르러버린 것이, 어떠한 통일된 約束, 달리 말하면 일관된 言語政策에 대한 요구를 사회전반으로부터 이끌어내는 계기가 된 것이 아닌가 생각된다.

      • KCI등재

        ヘボンㆍブラウン訳『馬可伝』における「べし」について

        민병찬 한국일본학회 2012 日本學報 Vol.92 No.-

        「べし」は文語の世界で口語のそれより多様な意味․用法を有していた。それが何らかの理由で変化し今日に至っているわけなので、文語での意味․用法のうち一部はその表現効果を残し、また一部はそれを逸したということになる。その変遷過程を探る目的で、本稿では、ヘボン․ブラウン訳『馬可伝』と米国聖書会社本や、文語訳、そして口語訳聖書との比較を試みた。『馬可伝』には「べし」の使用頻度が異様に高く、口語訳聖書では「べし」を引用文に限って用いることによって、古風な表現効果を産み出している。「べし」は独自の確固とした意味領域を有していたからこそ「現代語まで生き残」れたはずである。<聖書>は「法律用語とか規則」ではないが、一種の<権威>を保持しなければならない。そこで、「べし」などの文語体が多く使用されるようになったと考えられる。『馬可伝』における「べし」の使用例を調べてみた結果、「推量>勧誘․命令(禁止を含む)>可能(不可能を含む)>適当>決意>当然․必然」の順で用例が多いことが分かった。そのうち、「禁止」の意味として用いられた「べからず」は漢文訓読文体であるため、文語訳ではそれを「まじ」か「 な」に書き替えていた。一方、ヘボンは「推量」の意味としても、そして「決意」「禁止」の意味としても「べし」を使用しているが、そのほとんどが文語訳になると他の表現に書き替えられている。とりわけ「む」への書き替えが目につくが、その基本的な意味を考慮すると、「べし」と「む」には出来事にたいする<確信度>に違いがあり、文語訳ではこの違いを反映したものと見受けられる。なお、『馬可伝』に「べし」が多用されているのは、ヘボン․ブラウンの<聖書観>が深くかかわっている蓋然性がある。<確信>を表明し<権威>を保とうとした文献の性格も影響したであろう。

      • KCI등재

        헵번ㆍ브라운 역 『新約聖書馬可伝』에 대하여

        민병찬,장미 한국일본학회 2010 日本學報 Vol.83 No.-

        本稿は、1872年、ヘボンとブラウンが訳した『新約聖書馬可伝』の言語資料としての性格およびその日本語の特徴などについて考察したものである。『馬可伝』には、明治初期、ヘボンとブラウンによる訳の成立以降、およそ100年間にもわたって改訂作業が繰り返し遂行されたという経緯がある。このことを踏まえると、『馬可伝』をもって明治期という変革の時期における日本語の諸相を通時的な観点から比較考察できるという点において、その価値が認められると考えられる。本稿は、今後、翻訳物をもって明治期日本語についての研究を押し進めていこうとしている筆者にとって、具体的にどのような言語現象が議論の的になるのかについて検討したという意味を合わせ持っている。本稿では、ヘボン・ブラウン訳『馬可伝』は、仮名遣いの上での誤謬や音便現象の視覚化、そして語彙選択における問題など、言語の面において様々な問題を抱えているということを明らかにした。このような、翻訳という創作の過程で発生した言語上の諸問題が以後の改訂作業を通じて修正されていったものと見受けられるが、ここで見逃してはならないのは、『馬可伝』における日本語は文語体と口語体とが交錯する重層的な性格を持っていたということである。このことこそ、明治期日本語の在処を雄弁に物語ってくれる一方で、現代語の形成過程を議論していく際に欠かすことのできない重要なポイントになるものと考えられる。

      • KCI등재

        『神国神字弁論』과 神代文字

        민병찬 한국일본학회 2009 日本學報 Vol.80 No.-

        諦忍は『以呂波問弁』において、<日本は「神国」であり、日本語は「神語」、そして日本の文字は「神字」>という主張を展開する。しかし、「神字」つまり<神代文字>の実体についての明確な証左を提示するには至らず、以後、その実物を示した『神国神字弁論』に収められた『金杵摧駁』を待たなければならない。本稿は、『金杵摧駁』と同じく『神国神字弁論』に収録されている、『以呂波問弁』を反駁する目的で敬雄が著した『駁伊呂波問弁』についての検討を通じて、諦忍が<実物>を提示するに至った経緯を調べたものである。 その結果、『駁伊呂波問弁』での敬雄の諦忍批判は、<諦忍が証左としている史料にたいする批判>、儒家的観点からの<日本の神話に基づき中国と日本とを対等に位置づける諦忍の姿勢にたいする批判>、<音声言語と文字言語とを混同していることにたいする批判>、<横書きだけをもって他の言語を卑下することにたいする批判>にまとめられるということを確かめた。また、全体としては<現存する神代の文字がない>という事実に基づいた一貫した批判であり、その批判は時には論理的に、また時には感情的に展開していることも確認できた。 このような敬雄の反駁を再反駁しようと著されたのが『金杵摧駁』であり、やがてその本文で<神代文字>の実物を提示するに至ったのである。要するに、諦忍が<神代文字>の実物を提示した決定的なきっかけは敬雄の執拗な反駁にあったということになるが、以後、<神代文字>存在説の代表とも言える平田篤胤の『神字日文伝』においても、<神代文字>の存在を既定事実として受け止め、拡大再生産していったのではないかと考えられることを鑑みると、『神国神字弁論』はその論争の流れのなかにおいて、やはり大きな転換点であったと言わなければなるまい。なお、<神代文字>との関連においてハングルを見直す出発点が同じくここにあったというのも注目に値する。

      • KCI등재
      • KCI등재

        諦忍의 언어인식에 대하여─ 『以呂波問弁』을 중심으로 ─

        민병찬 한국일본학회 2009 日本學報 Vol.78 No.-

        日本における文字の起源についての議論のうち、<神代文字>の有無にたいする論争は、諦忍が『神国神字弁論』において、<これが神代文字だ>と初めて実物を提示したことによって大きく転換する。本稿は、諦忍の神代文字についての主張が初めて積極的に示されている『以呂波問弁』にたいする言語史的な位置づけを試みようとしたものである。 問答体で構成されている『以呂波問弁』を通して、諦忍は<日本は「神国」であり、日本語は「神語」、そして日本の文字は「神字」>との主張を繰り広げる。それに合わせて、<天竺と中国と日本は最高の聖域>であることを主張する際には、日本語と梵語との形態的な類似点に着目する。このように、悉曇を重視する視点は、後代の言語研究に多大な影響を及ぼしたものと見受けられ、なお、言語に基づき世界を見直そうとした視点もやはり注目に値するものと考えられる。

      • 동적 자동차 시뮬레이터에서 Simulator Sickness와 생리적 반응에 대한 연구

        민병찬,전효정,성은정,정순철,김철중 한국산업경영시스템학회 2003 한국산업경영시스템학회지 Vol.26 No.1

        The study was to evaluate psychological and physiological changes of simulator sickness in the controlled condition of driving a car (1 hr. at speed of 60 km/h) in a graphic simulator. Simulator sickness was measured and analyzed every 5 min using both subjective responses(i.e., Simulator Sickness Questionnaire) and Physiological signals(EEG, HRV, Skin Temperature, GSR). The results showed that there was significant differences in subjective response 10 min after the main experiment. From 10 min after the driving, the level of subjective simulator sickness increased significantly, relative one of the rest condition. There also was significant differences in physiological responses between the rest and the 5 min after from the start of driving : for EEG, $\delta$ and $\theta$ at Fz area increased, while $\alpha$ decreased; the averaged R-R interval and skin temperature decreased; LF/HF and GSR increased. The results indicated that simulator sickness was induced by activation of the autonomic nerves and inactivation of the central nerves.

      • KCI등재

        조선총독부관보의 ‘조선역문’에 대하여

        민병찬 한국일본학회 2012 日本學報 Vol.93 No.-

        本稿は、朝鮮総督府官報に掲載されている「朝鮮訳文」の韓国語文と、当代の他資料との比較検討を通じて、日本語を韓国語に訳する際、日本製漢字語を多数取り入れたり、漢文体を採用するようになった背景等について考察したものである。漢文体に関しては、『独立新聞』のように、その採用に批判的な立場がある一方、池錫永と林圭のように違った観点を持っている人物もいた。要するに、漢字語を積極的に採用することによって、外国の文物を理解しようとする試みも一方にはあったのである。とりわけ、林圭の場合は『日文訳法』のなかで、朝鮮総督府官報に先立って日本語の文語体を韓国語に対訳する方法を提案しており、それがほとんど「朝鮮訳文」に受け継がれている。「朝鮮訳文」のもつ韓国における日本語教育史での意義の一つとして、日本語学習にたいする現実の必要に応じて司譯院で『捷解新語』のような日本語学習書が作られる時代から、民間主導の学習書製作の時代を経て、官、つまり朝鮮総督が強制する形に転換した時代に、初めて公にされた産物の一つであるということを挙げることができよう。このような流れのなかで、「朝鮮訳文」は後続研究を促す触媒としての役割も担っていたものと考えられる。

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