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차덕호 한국일본어교육학회 2001 日本語敎育 Vol.19 No.-
言語における對象の把握は恣意的である。語彙の體系や表現の在り方にはその言語を使用する集團が持っている對象への見方が反映されているからだ。このように集團固有の環境や文化によって決定される語彙の體系と表現の楊相は相對的なものであり、優劣を論じる問題ではない. ここでいう明晳性とは、弁別力があり、明確で論理的、合理的であるという意味であるが、この論文では言語全體を對象にして評價ではなく、韓國語に比べた場合の日本語の明晳性を問題にしており、中でも日本語における明晳性の欠如だけをとりあげている。勿論韓國語より日本語の方が明晳性が優れている部分もあるが、今後の課題とする。 考察においては日本語における明晳性の欠如をいくつかの領域に分類して實例をとりあげた。 ·造語における矛盾(せんぬき、はばとび、まあけずぎらい、とんでもない、おぼろけない、はだぬぎ、たかかり) ·時間的矛盾(さき、こんど、た) ·用法の矛盾(使用人,雇傭者,はめる、はさむ、ばい、ちがう) ·意味の相反(かえる、きく、こわれもの) ·表現の暖昧さ(こおり、じかん、ごと) ·未分化(おす、はやい、こげる) ·單一語(こいぬ、めうし、ぎゅうにく、だまされる、やられる) ·助數詞(ちゃく、まい、こ) 考察の結果、日本語における明晳性の欠如は、明晳性を保障する諸要素のなかでも意味領域における暖昧性、省略や慣用による表現の不完全性、特に全體的な正確性の欠如による非論理性によるものが多かった。