RISS 학술연구정보서비스

검색
다국어 입력

http://chineseinput.net/에서 pinyin(병음)방식으로 중국어를 변환할 수 있습니다.

변환된 중국어를 복사하여 사용하시면 됩니다.

예시)
  • 中文 을 입력하시려면 zhongwen을 입력하시고 space를누르시면됩니다.
  • 北京 을 입력하시려면 beijing을 입력하시고 space를 누르시면 됩니다.
닫기
    인기검색어 순위 펼치기

    RISS 인기검색어

      검색결과 좁혀 보기

      선택해제
      • 좁혀본 항목 보기순서

        • 원문유무
        • 원문제공처
          펼치기
        • 등재정보
        • 학술지명
          펼치기
        • 주제분류
        • 발행연도
          펼치기
        • 작성언어
        • 저자
          펼치기

      오늘 본 자료

      • 오늘 본 자료가 없습니다.
      더보기
      • 무료
      • 기관 내 무료
      • 유료
      • KCI등재

        達磨大師 일본도래 설화와 중세 聖徳太子 신앙

        Matsumoto Shinsuke 한국일어일문학회 2010 日語日文學硏究 Vol.73 No.2

        本論文では、聖徳太子伝の世界で広く知られていた、達磨が日本に渡来したという説話を中心に、その展開の様相と、日本における内容の変容を、時代の変遷に従って概観し、更に、従来指摘のなかった増補系聖徳太子伝における新たな達磨説話を分析した。中国においては、死後、再び西の国に行く姿が目撃されていた達磨だったが、その神仙的要素が作用したのか、日本では達磨が日本に来たという説が広まっていた。それは、聖徳太子の伝記の中で見られた現象であった。聖徳太子の伝記に達磨が登場したのは平安時代だった。所謂片岡山飢人説話で、聖徳太子が出会った飢人が達磨であったという説が生まれていた。これは『日本書紀』の段階では存在しなかった解釈である。そして、中世には達磨渡来譚は完全に定着していた。そんな中、仏教伝来以前の日本に達磨が渡来して馬に変身し、馬小屋で誕生した聖徳太子と出会ったという説話が、増補系聖徳太子伝に登場するようになった。増補系では、勝鬘夫人から延々と転生を繰り返し日本に仏教が伝わっていった過程の中に達磨を位置づけ、太子誕生と結びつけることで厩舎という場所に新たな意味を付与していた。そして、この舞台となったのが、橘寺であった。聖徳太子誕生の場所であり、勝鬘経講義の場所でもあった橘寺では、この系統の聖徳太子伝が伝えられていた。橘寺はこの説話の成立とも関連があるのではないかと思われるが、この点は更に実証的な資料発掘が必要となろう。

      • KCI등재

        니치라(日羅) 설화의 변천 -『일본서기(日本書紀)』를 일탈하는 쇼토쿠(聖徳) 태자 전-

        Matsumoto Shinsuke 단국대학교 일본연구소 2012 일본학연구 Vol.37 No.-

        "Nihonsyoki" is a first history book in which we can find out a name of Nichira, who is a child of Japanese bureaucrat despatched to Baekje. "Nihonsyoki" says that he was invited to Japan to advise foreign affairs such as a conflict in Garak(Minama) but assassinated by a Baekje person. Shotoku Taishi did not hold reigns of government as regency at that time, so "Nihonsyoki" does not have an article that shows a relation between Nichira and him. But "Shotoku Taishi Denryaku", a biography whose original text was considered to have been edited in about 10th century, says that Nichira met Shotoku Taishi. So there is a considerable difference between "Nihonsyoki" and "Shotoku Taishi Denryaku". "Shotoku Taishi Denryaku" says that Nichira and Shotoku Taishi had met at China in a past existence, and that Nichira implied that Shotoku Taishi would try hard to make Buddhism prevalent in Japan. Such contents of "Shotoku Taishi Denryaku" are amplified more in "Shoborinzo", which is a biography of Shotoku Taishi edited in the Middle Ages. "Shoborinzo" alleged that Nichira had been an monk and come from Goguryeo, emphasizing the encounter of the two persons resulting from a cause and effect in the past. Like "Shoborinzo", "Taishiden" which is categorized as the enlarged versions of biographies of Shotoku Taishi describes the assassination of Nichira caused by a Baekje person as a punitive justice. These biographies don't keep the original form which "Nihonsyoki" had shown any more, going so far as changing the contents of "Shotoku Taishi Denryaku", which had been mainly referred to when writing a biography of Shotoku Taishi until 20th century. These instances suggest that the writers of the biographies of Shotoku Taishi in the Middle Ages could add new elements to original forms according to their thoughts instead of seeking exactitude. 日羅は『日本書紀』敏達天皇一二年の記事にはじめてその名が見え、百済に渡った日本人官僚の子として登場する。紛糾する任那問題を解決すべく日本に招かれ、外交政策について朝廷に政策の助言を行ったが、百済の策略で暗殺されたとされる。この時、厩戸皇子、すなわち聖徳太子はまだ摂政には就任しておらず、『日本書紀』では両者の接点は一切記されていない。しかし、10世紀頃には原型ができあがっていた『聖徳太子伝暦』では、日羅が聖徳太子と出会ったという記事が現れる。ただしその内容は、『日本書紀』とは大きく異なっていた。聖徳太子が仏法流布に尽力すると日羅が暗示したというのだ。この『聖徳太子伝暦』の内容は、中世に編纂された『聖法輪蔵』で更に増幅され、日羅は高句麗の僧侶として登場するようになり、過去の因縁を通した二人の出会いが強調されるようになる。また、増補系太子伝の一つである『太子伝』でもこの傾向は続き、日羅殺害の原因までもが過去の因縁であると説明されるようになる。もはや『日本書紀』の原型はほとんど残されておらず、聖徳太子伝の規範であった『聖徳太子伝暦』の内容までどんどん変更されている。こうした事例から、聖徳太子伝の編纂は、先行文献を単純に踏襲されたのではなく、次々に新しい要素が加えられていたことがわかる。

      • KCI등재

        談山神社藏聖德太子繪傳と增補系太子傳

        ( Matsumoto Shinsuke ) 한국일어일문학회 2014 日語日文學硏究 Vol.88 No.2

        聖德太子の生涯を描いた繪傳は、四天王寺の壁にあったという繪傳をはじめ、中世になって數多く作られていた。多くの繪傳は『聖德太子傳曆』を基礎にしたエピソ-ドを年齡に從って配置していくという手法で作成されている。しかし、現存する繪傳および文字資料である傳記が相互に完全に一致する例はほとんど存在しない。ここで論ずる談山神社藏(および觀音正寺구藏)聖德太子繪傳と、中世に展開していた增補系聖德太子傳太子31戱條は他の傳記には見られない內容で、これが雙方で一致している。他の部分が全て一致するわけではないが、增補系太子傳については從來繪畵との關係についてはほとんど檢討されてこなかっただけに、繪傳と傳記兩者の成立や傳來の問題からも注目される。聖德太子の生涯を描いた繪傳は、四天王寺の壁にあったという繪傳をはじめ、中世になって數多く作られていた。多くの繪傳は『聖德太子傳曆』を基礎にしたエピソ-ドを年齡に從って配置していくという手法で作成されている。しかし、現存する繪傳および文字資料である傳記が相互に完全に一致する例はほとんど存在しない。ここで論ずる談山神社藏(および觀音正寺구藏)聖德太子繪傳と、中世に展開していた增補系聖德太子傳太子31戱條は他の傳記には見られない內容で、これが雙方で一致している。他の部分が全て一致するわけではないが、增補系太子傳については從來繪畵との關係についてはほとんど檢討されてこなかっただけに、繪傳と傳記兩者の成立や傳來の問題からも注目される。 After the Illustrated Biography on the wall of Shitennoji temple was made, many paintigns which described a life of Shotoku Taishi were made in the medieval times. Much of them are created arranging the episodes according to his age. Such a style is a form of “Shotoku Taishi Denryaku”. But there are few cases that the contents of Illustrated Biographies correspond to that of the biographical stories. Tanzan shrine’s Illustrated Biography of Shotoku Taishi and enlarged biographical stories which were made in the medieval times have same episode in his age 31. This relation may solve the problems about the time when they were made and the person who made them.

      • KCI등재

        9세기 奉幣使 告文에 보이는 지진 재해와 신라에 대한 경계심

        Matsumoto Shinsuke 한국일어일문학회 2012 日語日文學硏究 Vol.80 No.2

        この論文では、古代における地震に対する観念、およびそれに対する朝廷の対応を検討し、特に貞観11年に発生した大地震、およびそれに付随した火山活動に関する記録を通してその具体的な様相を検討したのち、その際に派遣された奉幣使、およびその告文に注目した。というのは、この告文は単に地震や火山活動のみならず、同時代に発生していた新羅の海賊に関する内容が含められているからだ。両者の登場は偶然の一致ではあるのだろうが、新羅の驚異は天災と関連づけられて不穏な空気を醸成していたことがこうした告文からうかがえる。九世紀に転換したと言われる新羅観の様相を、こうした告文から読み説いていこうというのが本論文の目的である。

      • KCI등재

        쇼토쿠 태자 신앙과 호쿠리쿠 지방의 약연기

        Matsumoto Shinsuke 한국일어일문학회 2012 日語日文學硏究 Vol.83 No.2

        本稿は、北陸地方(石川県)の聖徳太子に関係する略縁起についての論考である。この地方は聖徳太子信仰を強く打ち出した浄土真宗が盛んで、それに伴って各寺院には聖徳太子像が安置され、その由来を説明する略縁起が作成されていた。その内容を見てみると、像に関しては次の二つに分けられる。一つは聖徳太子2歳の姿をもとにした「南無仏太子像」で、もう一つは16歳の姿をもとにした「孝養太子像」である。特に前者の像は、唱名念仏を教義とする浄土真宗の信仰と関連して広まっていた。また、縁起の内容は聖徳太子伝暦を踏襲しつつも、微細なところではそれぞれが別個の内容を持っており、特に制作者の割り当てなども含め、かなり独自にその由来を創作している様が見えてくる。 In this article abbreviated stories about history of temples in Hokuriku province is discussed about. Jodo Sinsyu sect, which is known for its strong faith in Prince Shotoku, is prevalent in this region, and they have published abbreviated stories about a statue of Shotoku which has been enshrined in their temples. These stories have two patterns. One is about "a statue of Shoroku who recites a name of Namu Butu"and another is about "a statue of Shotroku who serves his father devotedly". Especially former statues are popular in Jodo Sinsyu sect because they have a doctrine that recommends enthusiastic practice of reciting the phrase Namu Amida Butsu. And the contents of abbreviated stories are extracted from "Shotoku Taishi Denryaku" but differ in details. Authors of such articles made a story about statue without strict restrictions. For example they mentioned freely who had made a statue.

      • KCI등재
      • KCI등재

        호류지(法隆寺)와 시텐노지(四天王寺)에서 작성된 쇼토쿠 다이시(聖徳太子)傳에 나타난 구세관음의 유래와 해석

        Matsumoto Shinsuke 한국일어일문학회 2010 日語日文學硏究 Vol.75 No.2

        この論文は、古代から中世にかけて編纂された聖徳太子伝に現れた救世観音に関する諸説を比較検討することを目的としている。救世観音は、聖徳太子信仰に関連して広く知られた菩薩である。一般的に救世観音は法隆寺のものがよく知られているが、聖徳太子信仰のもうひとつの核であった四天王寺も、本来は救世観音を本尊としてまつっていた。救世観音信仰としては、むしろ四天王寺の方が積極的であったとも言える。本論文では、この救世観音をめぐる中世聖徳太子伝や寺社縁起の世界を読みとき、救世観音が聖徳太子として信仰されていく様相を考えてみた。法隆寺では秘仏とされた救世観音は、法隆寺僧でも拝観が難しく、聖徳太子在世中につくられた等身の聖徳太子像であるという説が伝えられていた。一方、四天王寺では、『聖徳太子伝暦』に見られる聖徳太子=救世観音であるという説を前提に、百済から伝わった像が救世観音であるという説が『四天王寺縁起』に採用されていた。全く異なる実物の救世観音に対して、それぞれが独自の説明を施していたことになる。

      • KCI등재
      • KCI등재

        일본문학(日本文學),일본학(日本學) 편(篇) : 사천왕사(四天王寺)와 선광사(善光寺)의 연기(緣起)에서 본 백제인식 -불교 전래설을 중심으로-

        마츠모토신스케 ( Matsumoto Shinsuke ) 한국일어일문학회 2011 日語日文學硏究 Vol.77 No.2

        この論文では、日本で作成された佛敎傳來をめぐる樣樣な資料を分析し、百濟から傳來した佛像に對して强い關心が불われている点、そしてそれが四天王寺や善光寺の緣起に反映して、同時代に廣まっていた三國史觀とは異なる、百濟からの傳來を强調する史觀の展開につながっていたことを確認した。これらの資料で特に强調されているのは佛像の傳來で、これは、韓國や中國の佛敎傳來說話にはあまり見られないか、見られたとしても日本の緣起のように大きな關心が불われていない部分であった。こうした日本の資料で特に注目されるのは、この佛像が「金銅」あるいは「純金」と形容されている点であった。佛敎は黃金に光り輝く佛像で象徵されていたのだ。そしてそれは、百濟から傳えられた佛像だったのである。

      • KCI등재

      연관 검색어 추천

      이 검색어로 많이 본 자료

      활용도 높은 자료

      해외이동버튼