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현대 일본사회 속의 남성어·여성어 : 요모토 바나나(吉本バナナ)의 『키친(キッチソ)』과 『TUGUMI』를 중심으로 一吉本ばなな著『キッチソ』, 『TUGUMI』を論じて
오오사와, 요시히로 세계문학비교학회 2002 世界文學比較硏究 Vol.6 No.-
本稿は、主として吉本ばななの『キッチン』(1988年)、『TUGUMI』 (1989年)を論じて、現代日本社會における男言葉と女言葉の問題を考察し たものである。『キッチン』において、主人公、櫻井みかげの『戀人』、 田邊雄一の『母親』である田邊えり子は性轉換をして父親から母親になっ た人であった。『彼女』の生活基盤は、ゲイ·バ一の經營であった。そ のため、『彼女』は日常、女言葉を使っていた。『彼女』は、一方的に變心を抱いた男に刺殺されることになるのだが、それを予想して、息子、 雄一にあてた『遺書』では女言葉を使っていた。『彼女』は女言葉を自分の言語的假面であると思っていたが、最終的には女言葉が『彼女』の言語的 本質になっていたのであった。 他方、『TUGUMI』の主人公、山本つぐみは小さい時から.弱で あったので、甘やかされて育てられた。彼女は、理由は判然としない が、男言葉を使うのをほぼ常としていた。彼女が女言葉を使うのは、男 を『たぶらかす』ために使う時だけであった。彼女はしとやかな女性を 演じる時だけ女言葉を使い、日常は男言葉を使っていたのである。しか し、彼女が變心を抱くようになる武內恭一に對しては、そうした言語的 假面をかぶる余裕が持てない。彼女は武內恭一に對しては男言葉を使い、變心を素直に表現することになる。要するに、山本つぐみにおい ては男言葉が言語的本質になっていたのであった。この2作品においては、男が女言葉を本性として使用し、女が男言葉を本性として使ってい た。つまり、性差と言語的差異がこの2人の場合、逆轉しているのである。 以上のような言語的『倒錯』がなぜその2作品中に作られているのであろうか。それは單にプロットの面白さのために作られているのではないだろう。それは、一面で、現代の言語的搖れを反映しているためであろう。現代日本において、舊來、當然と思われていた言語的差異は問い 直されている。それは女性の社會進出と女性の自己主張と關係がある。 もちろん、上記の2作品における言語的『倒錯』は、カリカチュアの側面を有していることは否定できない。 しかし、現代日本社會において男言葉と女言葉の差異は、現實に小さくなりつつある。女性が女性であるがために、一層、丁寧な言葉遣いを 要求されることは不當でないかと考えることは論理的に否定できない。 男女ともに丁寧な言語表現を要求されるのは理解できるとしても、女性だからという理由で、ある言語的表現を强制されることに對しては强い 批判が今ならありうるだろう。吉本ばななの上記2作品はそうした社會の動きを、やや戱畵化しつつも、反映させたものと言うことができよう。(了)