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        전후 재일 코리언 문학의 변용과 특징― 오사카 이쿠노(大阪生野) 지역의 소설을 중심으로 ―

        김환기 한국일본학회 2011 日本學報 Vol.86 No.-

        戦後在日コリアン文学は民族的/脱民族的グルスギを経て、最近の現実主義的な世界観を見せるまで多様な文学的変容を重ねてきた。大阪(生野)は歴史的、文化的に戦後在日コリアン文学の変容において重要な空間であった。それは生野に内在化された済州道(済州4·3事件)、家父長的思考、日常化されたマイノリティ文化が戦後在日コリアン文学に具体的に形象化されたからである。特に済州道は伝統·生活文化と代弁される宗教意識、済州4·3事件、済州女性の強い生活力などが文学的に形象化されたし(金石範、金泰生、金重明、金吉浩などの小説)、男性中心の家父長的思考は結婚式、法事(祭祀)、男尊女卑思想などの形で描かれた(梁石日、宗秋月、金蒼生などの小説). そして日常化されたマイノリティ文化は生野の日常的文化と生活を中心に形象化される(玄月、元秀一、金吉浩などの小説). このように戦後在日コリアン文学は生野に内在化された在日コリアンたちの喜怒哀楽を歴史的、観念的な思考に解きほぐしながらも、生活周辺の地域的な環境、文化、日常から形成され拡張される水平的で根元的な人間本然の自意識を穿鑿する。言わば戦後在日コリアン文学は激動期の近現近史の中で理念、世代、国家間の対立と葛藤の形で点綴してきた大阪(生野)を叙事化することによって、彼らなりの文学的独創性を確保し文化的アイデンティティを維持·継承したのである。

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        재일 디아스포라 문학의 형성과 분화

        김환기 한국일본학회 2008 日本學報 Vol.74 No.-

        本稿では在日デイアスポラ文学の形成過程とその分化を多様性と普遍性の側面から考察してみた。その過程 で、先ず在日デイアスポラ文学の形成には植民地期の留学派文人たちの存在性と張赫宙、金史良文学の協力/ 非協力的書き方(グルスギ)が重要であることが確認される。そして解放以後の在日デイアスポラ文学には植民地期 に対する清算の意味とともに、在日1世代の民族的書き方が“玄海灘を往来しながら理念と生存に揺れるしかな かった個人事をもとに民族の傷痕を形象化”したのがわかる。言わば、金石範,、金達寿,、金時鐘などの文学に 見られる植民地期の協力/非協力、解放祖国の政治混乱、帰還出来なかった者たちの望郷、民族的アイデンテイ テイへのこだわり、朝総聯と民団の理念的葛藤など祖国と民族を巡る多様な敍事詩がそれである。また、在日中 間世代(2,3世代)の文学には境界人思考と異邦人意識が澎湃するが、特に金鶴泳、李恢成,、李良枝などの文学 から見られる不遇性の形象化(内外向的な昇華)は“最も‘在日朝鮮人文学らしい文学”として位置づけられる。そし て最後に最近在日文学の多様性と普遍性次元の脱民族的書き方(柳美里、玄月など)、解体された‘在日性’((鷺 沢萠、伊集院静など)、エンターテイメント小説(梁石日、金城一紀など)、ニューカマーの文学活動(金吉浩など) は在日の位置を正確に表すという意味と絶えず変容するという意味を現す。結局、こういう在日文学の多様性と変 容が多文化的世界観をもとにしている限り、より一層世界文学としての価値を高めるとともに、普遍的価値を拡張 させる契機になるだろうと思われる。

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        在日コリアン文学に表れたディアスポラの様相と意味

        김정혜 일본어문학회 2009 일본어문학 Vol.44 No.-

        在日コリアン文学に表れたディアスポラの様相と意味を、立原正秋․金 鶴泳․元秀一․柳美里という4人の在日コリアン作家の小説を分析して究明した。その結果、立原正秋の内面にあるマラーノ性を、金鶴泳の小説における日本文學への韜晦を、元秀一の「猪飼野物語」におけるクレオール語との関係を、そして、最後に柳美里の「8月の果て」における文學の世界化への試みを明らかにすることができた。これら4つの様相は、すべてディアスポラ的であると看取できる。 在日コリアン文学は、日本的要素と韓国的要素をもっていながらも、柳 美里の文學に至っては世界的な要素をも持ち合わせていると考えられる。

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        南北分断の状況と在日朝鮮人の文学

        호테이 토시히로 동국대학교 일본학연구소 2016 일본학 Vol.42 No.-

        After the war, Korean-Japanese literatures can be divided into the following three eras: 1. Until the independence day of Korea from the day the loss of Japan. 2. Until ‘disperse of private war’ in 1955 from ‘Joseon war.’ 3. After forming ‘The pro-Pyeongyang federation of Korean residents in Japan.’ In the first era, Korean-Japanese remained in Japan wrote some amateur literatures, such as Inminmunwha, Corea-munye, Jokukmunkak, Josen, Jamin, Joreonmunwha, Gunkuk in order to celebrate the independence of their mother land, Korea. And then nationalistic newspapers Hebangsunmun, Joseon-sinbo were published. On Joseon-sinbo, Kim Dal-soo argued that literatures written in Japanese language by Korean authors should be considered Korean literatures rather than Japanese literatures. Moreover, Minju-Joseon was published. On 1947, February 20th, the artists from both Jochongnyeon and the Federation of Korean Residents in Japan formed Korean-Japanes federation of culture association together. On 1948, January17th, Korean-Japanes literary society which was formed by uniting each association shared some parts of the code of conduct as Joseon writers alliance which was formed on 1945, December 13th. These show the Korean-Japanese humanities scholars’ tendency in the era. In the second era, Korean war occurred in 1950, May. As the result of this, Nam-ro party led by Park Heon-young got arrested. After that incident, bias took place in the media, Nodongsinmun and Minju-Joseon; they didn’t fully cover the process of Park Heon-young’s case in the court. On the other hand, Motherland defense national committee’s Sin-Joseon published by Korean Resident in society fully covered the case in 1953 and 1954. Nothing is certain, but their intension of the full coverage which had been exposed Korean-Japanese people can be speculated that they wanted people from Nam-ro party to give up their thought. In the third era, forming Jochongnyeon in 1955 was a turning point in the ideology of Korean-Japanese activists. Korean-Japanese people started to be recognized as citizens from the republic, thus, their identity as residents in Japan got weakened; they started to feel more connected to their own country. As a result, this incident caused a big impact on the literature. After that, betrayal and commercial papers are becoming problems to the humanities scholars. 戦後初期の在日朝鮮人文学を考える時、時間幅を少し広く捉えてみる必要があり、それらは大きく、(1)日本の敗戦から朝鮮戦争まで、(2)朝鮮戦争から1955年の民戦解散まで、(3)1955年の在日本朝鮮人総連合会(総連)結成以後、の3つの時期に分けられる。 (1)の時期には、祖国の解放を迎えて、日本に残ることになった在日朝鮮人たちの中から創作を試みる者たちが現われ始め、『人民文化』、『高麗文芸』、『祖国文学』、『朝鮮』、『白民』、『朝連文化』、『建国』などの同人誌が発行された。そこへ『解放新聞』、『朝鮮新報』といった民族新聞が発刊され、『朝鮮新報』紙上では日本語創作を巡って、朝鮮文学たり得ないとする魚塘と、日本語創作としての朝鮮文学創作の可能性を主張する金達寿の言語論争が起こりもした。さらに『民主朝鮮』が発行され、1947年2月20日には、朝連側文化人と民団側文化人が共同で文化活動を行なおうと在日朝鮮文化団体連合会(略称・文団連)が結成された。こうした中、1948年1月17日に各団体が大同団結して結成された「在日朝鮮文学会」の綱領は、1945年12月13日に南朝鮮で結成された統一団体「朝鮮文学同盟」の合同声明の条項と、5つの条項中、4つまでが同じであった。当時の在日朝鮮人文学者たちの文学傾向、志向、総意がどこにあったかをうかがわせるものといえる。 (2)の時期には、1950年6月には朝鮮戦争が起こるが、その結果として、共和国では朴憲永率いる南労党系が粛清された。この後遺症は深いものがあったが、資料面で注目されるのは、1953年の李承燁や林和たちの裁判・粛清と、1955年に処刑されることになる朴憲永たちの粛清に対する報道の差である。前者については、『労働新聞』や『民主朝鮮』紙上を使って、裁判の様子や判決文を大々的に報道しているが、後者については、この両紙ではほとんど報道がなされていない。一方、在日朝鮮人社会で発行されていた、祖国防衛全国委員会の機関紙『新朝鮮(새조선)』紙では、1953年と1954年に大々的に報道されている。このことが何を意味するか、軽々に断定はできないが、在日朝鮮人に対して、このように知らせることによって、ひょっとして残っていたかもしれない南労党系の人物たちに対する思いをあきらめさせるために、再度大きく報じたのではないか、ということが推測される。 (3)の時期、1955年の「総連」の結成は、在日朝鮮人運動史上、大きな転換点となる出来事であった。在日朝鮮人が共和国の「公民」とされ、「在日性」が比較的に弱まり、「本国志向」が強まった。そしてこれは文学面にも大きな影響をもたらした。これ以降、文学者たちの組織からの離反と、商業誌への登場が大きな問題点となってくる。

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        재일문학 속 재일한국인 표상 연구 —원수일의 이카이노이야기(猪飼野物語) 를 중심으로—

        고경순 한국일본문화학회 2022 日本文化學報 Vol.- No.94

        It is necessary to know and understand the lives and circumstances of Zainichi Koreans, who have lived a life of hardship and adversity in other countries over a century of history. In this paper, the life of Zanichi Jeju people was grasped through a cultural and historical analysis of the representation of Zainichi Koreans in the story of Ikaino of Wonsooil. The formation of Zainichi Korean society is based on the historical background of the Japanese colonial era's exploitative policy toward Korea. Zainichi Jeju people of the same background flocked to Ikaino to avoid economic or conscription and conscription and to escape the Jeju 4·3 Incident. Zanichi Jeju people in Japan have been communicating through Jeju's unique ritual life, such as ancestral rites, rituals, and other ceremonial weddings, centering on the Joseon market in Ikaino, and have lived to protect Jeju's culture and identity. Zanichi Jeju women, who inherited the temperament of the great and powerful Jeju creator Seolmundae Halmang, pioneered "small Jeju" in Japan in their lives around Ikaino. On behalf of her incompetent husband, she embodied the representation of Zanichi Jeju women who were in charge of making a living, embracing their children, sometimes burying in their hearts the sadness of losing their children, and embracing the pain of others. 渡日歴史100年、他国で苦難と逆境の人生を生きてきた在日韓国人に対して、文学の深い洞察を通じて深く知り、理解する必要がある。本稿では在日韓国人の表象を、元秀一の 猪飼野物語 を通じて文化史的分析方法で在日済州人の暮らしを把握した。在日韓国人の社会形成は日本による植民地時代、日本の収奪政策を歴史的背景としている。同じ背景を持つ在日済州人は経済的、あるいは徴用‧徴兵、それに済州4‧3を逃れ猪飼野に集まった。そして在日済州人たちは、猪飼野の朝鮮市場を中心に先祖祭祀、グッ、その他冠婚葬祭など済州特有の祭礼生活を通じて疎通し、済州の文化と済州人のアイデンティティを守りながら生きてきた。 巨体の力の強い済州の創造神の先門大ハルマンの気質を受け継いだ在日済州女性たちは、猪飼野を中心軸に日本の中の「小さな済州」を開拓して生き抜いた。無能力な夫の代わりに生計を立て、子供たちを抱き、時には子供を失った悲しみまで胸に埋めて、他人の痛みを包容する母性愛の至極な在日済州女性の表象を把握することができた。

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        鄭承博文学 硏究 - 「빼앗긴 말」과 「부러진 뿔」을 중심으로 -

        秋錫敏 한국일본근대학회 2012 일본근대학연구 Vol.0 No.36

        이 논문은 정승박문학에 있어서 「빼앗긴 언어」(「Ubawaretakotoba」)와 「부러진 뿔」(「Kaketathuno」)을 중심으로 그의 문학세계와 문학적 특징에 대해 연구하였다. 1장에서는 정승박의 출생과 渡日 그리고 본 논문에서의 연구내용을 소개하였다. 2장에서는 빼앗긴 언어」의 내용과 줄거리 그리고 작품의 끝부분에 대하여 언급하였다. 3장에서는 「부러진 뿔」의 내용과 줄거리 그리고 작품의 끝부분에 대하여 언급하였다. 4장에서는 두 작품을 비교하면서 그 유사점과 상위점을 고찰하였다. 그 결과 「빼앗긴 언어」가 일본제국주의의 정책에 대하여 좀 더 비판적이며, 또 주인공의 <자화상>의 離鄕問題에 있어서도 좀 더 사실에 가깝다는 것을 알 수 있었다. 이러한 이유때문인지는 알 수 없으나 「부러진 뿔」은 미발표 작품이다. 5장에서는 4장까지의 내용을 바탕으로 정승박문학의 특징을 고찰하였다. 두 작품은 정승박의 다른 작품들과 같이 渡日하기 전 고향에서의 체험과 학교생활, 그리고 식민지 조선에서의 일본 일본인의 위치와 위상에 대해 쓴 작품이다. 그리고 日帝의 <朝鮮語抹殺> <色衣運動> <宮城遥拝> <神社参拝> <満州移民>정책에 의한 식민지 조선의 <현실>과 <정황>을 그리고 있다. 그러나 주인공은 이러한 조선의 현실에 대해 아주 적극적으로 수용하고 있다는 것을 알 수 있다. 이러한 이유인지는 알 수 없으나 林浩治(Hayasikouzi)는 世代를 같이하는 재일조선인문학자와는 다른 <민족의식>을 가진 문학자라고 평가하고 있다. 그러나 지금까지 고찰한 작품 내용에도 일제의 정책에 대한 비판은 <민족주의> 입장이 있었다고 말할 수 있다. 말하자면 그의 문학은 일본에 대한 親和的 요소가 있기도 하고 민족주의적 요소도 있다. 즉 그의 문학에는 친일 혹은 민족주의라는 흑백논리로서 설명할 수 없는 다양한 내용과 성격들이 그려져 있다. 또 제1세대 재일조선인 문학자들과는 달리 <出版物 検閲> <国策文学에의 強要> 로부터 비교적 자유로웠다는 점에 주목을 하고 싶다. 즉 정승박이 그린 <조선의 현실>과 <情況>이야 말로 제1세대 재일조선인 문학자들이 그리지 못한 잇는 그대로의 조선 민중의 모습이었으며, 식민지 조선의 <현실>이었다고 말할 수 있을 것이다. This study takes notice of Jung Sung-Bak‘s literary world and characteristics of his literature focus on 「Ubawareta-Ktoba」 and 「Kaketa-Thuno」. Chapter 1 reviews the theme of this study, Jeong's birth and how he went over to Japan. Chapter 2 examines synopsis of 「Ubawareta-Ktoba」 and the ending part of the story. Chapter 3 examines synopsis of 「Kaketa-Thuno」and the ending part of the story.Chapter 4 explores his literary world through similarities and differences between two works. As a result I confirm that 「Ubawareta-Ktoba」 has critical perspective of the Japanese imperialism policy. Besides, the main character's self-portrait about leaving is close to the realism in 「Ubawareta-Ktoba」 compare to 「Kaketa-Thuno」. Like his other literary works, two books cover author's experience before he left to Japan and place of Japan in colonial Josun Dynasty. In addition, they express <reality> and <situation> by describing coercive imperial policies like <Uneuomalsal>. <Gungsungyobae>. <Sinsachambae>. However main character is accepting the reality actively. Hayasikouzi speaks that Jeong's literature has different nationalism compare to the Korean Japanese letters who were in same generation. On the other hand, I could find Jeong's nationalism by the other works he had done which I mentioned previously. Actually in Jeong's literature, there is variety contents and characters which is cannot be explained with extreme pro-Japanese or Nationalism. Moreover considering social situation which was free from the press-censorship and national literature pressure compare to other times, it supports that Jeong's literature depicts Josun society as colony of Japan that was not able to be described by first generation of Korean Japanese letters.

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        1945년 이후 일본의 한국문학 번역 현황 개관

        이한정 ( 李漢正 ) 인하대학교 한국학연구소 2017 한국학연구 Vol.0 No.46

        이 논문은 1945년부터 2016년까지 일본에서 출판된 한국문학 번역 작품의 현황을 개관하는 것을 목적으로 한다. 연구범위 기간에 발행된 일본어판 한국문학(고전문학, 시, 소설, 희곡, 아동문학) 간행 종수는 496종에 달한다. 간행 종수에서 그 수치에 큰 변화를 보이는 것은 1970년대와 2000년대다. 각각 48종과 161종인데, 1970년대 한국의 민주화운동에 대한 일본의 관심과 한국 문학자들의 번역을 통한 한일문화교류 추진이 이 시기의 간행 종수 변화에 영향을 주었다. 2000년대에는 1988년 서울올림픽, 2002년 한일월드컵 공동개최, 2003년의 드라마 <겨울연가> 일본 방영을 계기로 불게 된 한류붐 속에서 일본의 한국문학 수요가 증가했다. 현재 이러한 흐름은 지속되고 있다. 일본에서 자신의 작품이 가장 많이 번역된 작가는 권정생이다. 시인으로는 김지하, 고은, 김남조이 있으며, 소설가로는 박완서, 최인호, 황석영, 공지영 등이 있다. 작품의 번역본 출간은 개별 작가의 단행본, 선집, 시선집, 앤솔러지, 시리즈물, 문고판 등이 있으며, 각 시기별로 국내에서 화제가 된 다수의 작품들이 일본에 소개되었다. 일본의 한국문학 번역가는 재일한국인이나 일본어를 공부한 한국인이 다수를 차지했으나 2000년대 이후에는 한국에 유학한 일본인 번역가가 증가하고 있는 추세다. 本稿では、1945年から2016年まで日本で翻訳出版された韓国文学翻訳の現状を概観することを目的とする。この時期に出版された日本語訳の韓国文学 (古典文学、詩、小説、戯曲、児童文学) 出版は496種である。出版の数値に大きな変化を見せるのは、1970年代と2000年代である。それぞれ48種と161種となるが、1970年代の韓国の民主化運動に対する日本の関心と韓国文学者たちの翻訳を通じた韓日文化交流の推進がその変化に反映されている。2000年代には、1988年ソウルオリンピック、2002年の日韓ワールドカップ共同開催、2003年の ドラマ 「冬のソナタ」 の日本放映をきっかけに韓流ブームの影響で、日本の韓国文学の翻訳が増加した。現在、これらの流れは続いている。日本で自分の作品が最も多く翻訳された作家は児童文学者權正生ある。詩人では金芝河、高銀、金南祚であり、小説家では朴婉緖、崔仁浩、黃晳暎、孔枝泳などがある。作品の翻訳本出版は、個々の作家の単行本、作品選集、詩選集、アンソロジー、シリーズ、文庫版などがあり、韓国で話題になった多数の作品は、日本に紹介されている。日本の韓国文学の翻訳者は、在日韓国人や日本語を勉強した韓国人が多数を占めていたが、2000年代以降には、韓国に留学した日本人翻訳者が増えている。

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        북한에서의 재일조선인 문학 출판과 개작에 관한 연구-김달수와 이은직의 경우를 중심으로-

        조은애 ( 曺恩愛 ) 인하대학교 한국학연구소 2019 한국학연구 Vol.0 No.54

        이 글은 재일조선인 문학의 ‘조국’에서의 문화번역이라는 관점 아래, 그 공간을 ‘전후 일본’에서 ‘분단 조국’으로 확장하고자 하는 프로젝트의 일부로, 북한의 출판 및 인쇄 시스템을 통해 재일조선인 문학이 월경하는 과정에 주목하며 ‘공민문학’의 함의를 분석한다. 1965년 평양에서 발행된 『조국의 빛발아래』는 북한 최초의 ‘재일조선인소설집’으로, 임경상, 박원준, 이은직, 김재남 등의 조선어 작품들이 재수록되었으며, 유일하게 김달수의 「밤에 온 사나이」 만이 일본어 단편 「夜きた男」의 조선어 번역으로 수록되었다. 남한에서 일본으로 밀항해온 남자가 4·19를 계기로 역밀항한다는 「밤에 온 사나이」의 이동 방향은, 북한 내에서 4·19를 계기로 남한의 단독혁명을 인정한 대남(對南) 정책 드라이브를 미묘하게 보충한다. 그러나 이와 같은 정치담론의 보충은, 번역과 일본어 컨텍스트의 적극적인 생략을 필요로 했다. 한편, 『조국의 빛발아래』 출간 이후 수차례 북한에 소개된 이은직은, 1984년에 개인 소설집 『임무』를 평양에서 출간한다. 2002년에는 미발표 장편소설인 『한 동포상공인에 대한 이야기』를 평양에서 출간하는데, 그는 같은 해 어느 인터뷰에서 ‘지금도 북조선 재외공민인가’라는 질문에 북한 출판 과정에서 겪었던 검열과 개입에 관한 일화로 그 답을 대신하기도 했다. 남한 인민들의 혁명적 각성과 성장 과정을 그리는 데 성공한 작품으로 언급된 「생활 속에서」는 1971년 평양에서 발행된 재일조선작가작품집과 1984년 평양에서 발행된 개인 소설집 『임무』에 수록된다. 최초의 판본인 1967년 『문학예술』(도쿄) 판본에서 1971년(평양) 판본으로의 개작은 크게 ①남한의 ‘선진성’을 연상시키는 부분의 삭제, ②박정희 정부의 ‘괴뢰성’ 강조, ③북한의 실재성 강조라는 방향으로 이루어졌다. 그리고 1984년(평양) 판본에서 주목되는 부분은 1967년본과 1971년본에서 ‘애국자’로 언급된 바 있는 이순신 관련 내용이 삭제되었다는 점이다. 이 삭제는 1973년 도쿄에서 발행된 판본에서부터 이어진 것으로, 박정희정권이 이순신을 반공과 국토통일의 선구자로 영웅화했던 사실과 관련된다. 하지만 그 과정에 포함된 일본-남한-북한을 넘나드는 공간적 이동과 언어체계 및 양식적 이동의 복잡성은, 적극적인 포섭/ 배제의 원리로 형성된 ‘공민문학’의 공간에서는 좀처럼 논의되지 못했다. 本稿は在日朝鮮人文学の「祖国」における文化翻訳という観点から、その空間を「戦後日本」から「分断祖国」へ拡張するプロジェクトの一環として、北朝鮮の出版·印刷システムによって在日朝鮮人文学が日本の境界を越える過程に注目しながら、「公民文学」の意味を分析する。1965年ピョンヤンで発行された『祖国の光の下に』は、北朝鮮最初の「在日朝鮮人小説集」で、林炅相, 朴元俊, 李殷直, 金在南、その他の作家たちの朝鮮語作品が再収録された。その際、金達寿の「夜きたサナイ」だけは日本語短編小説「夜きた男」の朝鮮語翻訳で収録された。南朝鮮から密航してきた男が、4·19をきっかけに逆密航するという設定は、南朝鮮単独の革命を容認する方向に変化した、北朝鮮の対南政策ドライブを補うものだった。このような政治的補充は、翻訳と日本語のコンテクストの積極的な省略を必要とした。 一方、『祖国の光の下に』の出版以降、数度も北朝鮮で紹介された李殷直は、1984年には個人小説集『任務』をピョンヤンで発表した。2002年には未発表の長編小説『ある同胞商工人の物語』を北朝鮮で出版するようになったが、彼はあるインタビューの中で、「今もなお北朝鮮の在外公民なのか」という質問に対して、北朝鮮での出版過程で行われた検閲と介入について暗示した。 南朝鮮の人民たちの革命的覚醒と成長の過程を描き出すことに成功した作品として扱われた「生活の中で」は、1971年ピョンヤンの文芸出版社で刊行された「在日朝鮮作家作品集」の『日光はここにもさす』に収録されるようになる。 その後、1984年、彼の最初の個人小説集だった『任務』がピョンヤンで刊行されたときには、他の作品とともに収録された。1967年の『文学芸術』版から1971年版への改作は、主に①南朝鮮の「先進性」を想起させる部分の削除、②朴正熙政府の「傀儡性」の強調、③北朝鮮の実在性の強調、という方向で行われた。1984年版で注目すべき部分は、1967年版と1971年版の中で「愛国者」として言及された李舜臣の内容が削除されたことだ。この削除は1973年の東京発行版から受け継いだもので、朴政権が李舜臣を反共と国土統一の先駆者として英雄化した事実に関わっている。ところが、その過程に含まれていた、日本-南朝鮮-北朝鮮を往来する空間的移動と、そして言語体系およびスタイルの移動がもつ複雑性は、積極的な包摂/排除の原理によって形成された「公民文学」の空間では、ほとんど議論されなかった。

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        재일문학에 나타난 ‘집’이라는 장소

        이승진 ( 李丞鎭 ) 인하대학교 한국학연구소 2016 한국학연구 Vol.0 No.43

        본고는 재일조선인 문학에 묘사된 ‘집’이라는 공간에 주목하여, 그 변주 양상을 폭넓게 살펴보고자 한 것이다. 재일 2세대에게 ‘집’은 자신들의 자의식을 위협하는 존재이자, 동시에 안정시키는 이율배반적인 성격으로 그려진다. ‘아버지’와의 관계, ‘아버지의 집’으로 회귀할 수밖에 없다는 심리상태, 현실에서 대면하는 일본사회의 부조리함과 같은 문제 앞에서 ‘집’은 더 이상 1세들이 인식했던 자명한 장소가 아니라 훨씬 더 복잡하고 불가해한 성격으로 변모하기 시작한다. 이른바 ‘재일의 집’의 출현이었는데, 이때 이미 ‘1세의 집’, ‘조선의 집’과 명징하게 구분되는 재일 특유의 장소가 만들어졌다고 할 수 있다. 이 장소는 본질적으로 불투명하고, 불가해한 공간이며, 때문에 어떤 방식으로든 해명하고자 하는 욕망을 불러올 수밖에 없다. 2세 작가 김학영과 이회성을 시작으로 이기승과 이양지가 조형해 온 집은, 주인공들의 현실 인식 차이만큼이나 다양하게 분기함에도 불구하고, 여전히 해명되지 않는 장소라는 점에서 공통된다. 이 장소는 자식 세대가 자신들의 존재 근거를 확보하는데 도움을 주거나, 반대로 존재 근거를 위협하는 형태로 부상하기도 하지만, 어느 쪽이든 간에 자식들의 현실감각을 제어해 버린다는 점에서 재일의 ‘협소함’을 상징하는 역할을 떠맡아 왔다. 그럼에도 불구하고 2, 3세 작가들이 이 불가해한 집을 끊임없이 응시해온 배경에는, 재일이라는 삶이 근본적으로 지난한 것이며 외면할 수 있는 성질의 것이 아니라는 현실인식을 가장 적절하게 투영해 낼 수 있는 장소였기 때문이라고 할 수 있다. 유미리와 가네시로 가즈키와 같은 신세대 작가의 등장과 함께 ‘재일의 집’은 변용한다. ‘민족’과 ‘조국’이라는 관념이 ‘알 수 없음’의 영역으로 넘어온 지 오래인 그들에게 ‘집’은, 과감히 해체하거나 자신의 일상감각에서 포착할 수 있는 대상이어야 했다. 하지만 ‘재일의 집’을 가까스로 저 협소함에서 탈출시킨 듯 보이는 이들 작품 역시, 주로 ‘집’이라는 공간을 중심으로 등장인물들의 고뇌를 풀어내고 있다는 사실은, ‘집’이 여전히 재일세대의 ‘자의식’을 둘러싼 물음들과 밀접히 관계하는 장소임을 의미한다. 여기에 ‘재일의 집’을 둘러싼 해석의 의미와, 다양한 전망의 가능성이 소재한다고 할 수 있을 것이다. 本稿は、在日朝鮮人文学に描かれた「家」という空間に注目し、その変容を幅広く考察したものである。在日2世文学において、「家」は、子供たちの自意識を脅かす存在であり、同時に安定させる二律背反的な性格をもって描かれてきた。「父」との関係、「父の家」に回帰するしかないという心理状態、現に直面している日本社会の不条理さという問題の前で、「家」はもはや1世たちが認識していた自明の場所ではなく、はるかに複雑で不可解な性格に変貌してしまう。いわゆる「在日の家」の出現とも言えるが、この時、すでに「1世の家」や「朝鮮の家」とは異なる、在日特有の場所が作られたと見てよい。 この場所は、本質的に不透明で、不可解であり、それゆえ、どのような方法であれ、解明してみたい欲望を呼び起こす空間でもある。そして、在日2世作家、金鶴泳と李恢成をはじめ、李起昇と李良枝が描いた家は、多様に分岐しているものの、まだ解明されていない場所という点で共通するように見える。この場所は、子供たちが自分たちの存在根拠を確認する過程において重要な役割を果たすのだが、結局、子供世代の現実感覚を制御してしまうという点で、在日の「狭さ」を象徴してきた。それにもかかわらず、2、3世の作家がこの不可解な家を絶えず見つめてきた背景には、この場所こそ、在日するという辛さを最も適切に投影できる空間であったからであろう。 やがて、柳美里や金城一紀のような新世代の作家の登場と共に「在日の家」は変容する。「民族」と「祖国」という観念が「解らなく」なってきた現在、彼らにとって「家」は、思い切って解体するか、自分の日常感覚をもって理解可能な場所でなければならなかった。しかし、「在日の家」という狭さから、辛うじて逃げ切ることができたように見える彼らの作品もまた、主に「家」という空間を中心に登場人物たちの苦悩が描かれているということは、「家」がまだ在日の世代の「自意識」をめぐる問いと密接に関係していることを意味するといえよう。ここに「在日の家」をめぐる解釈の意味と、さまざまな見通しの可能性があると思われる。

      • KCI등재

        在日韓国人作家の文学作品に見るハイブリッド現象

        黄美玉 한국일본언어문화학회 2019 일본언어문화 Vol.46 No.-

        Language acquisition is highly influenced by one’s surrounding environments. People living in foreign countries selectively choose linguistic features from their mother tongue and foreign language, thus becoming hybrid speakers of both languages. This paper is interested in how Korean writers in Japan adopted Japanese language and how they formed unique hybrid identity as Korean-Japanese. This paper has sorted out five hybrid phenomenons from the works of Lee Hoesung, Lee Yangji, and Sagisawa Megumu. First, frequent tense shift was found in the Korean-translated version of Japanese texts. Second, complex forms of modifiers were used in their Japanese works. Third, honorific expressions were different in Japanese and Korean. Fourth, postpositional particle ‘ばかりbakari’ was extensively used by Lee Hoesung. Fifth, literal translation affected grammatical structures in their Japanese works. The hybrid phenomenons are going to be found more often in Japanese as more and more people from different linguistic backgrounds are learning Japanese, and this will lead to the diversification of Japanese.

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