太線沈線文土器は製作技法上、模様の指文が始まる所から指文具が深く押され 、後両端或いはその一端に深い溝が刻まれている土器を称する。本研究では形式...

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부산: 부산대학교, 2008
2008
한국어
951.01 판사항(21)
부산
v, 96 p.: 삽도; 26cm.
참고문헌 : p.90-94
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太線沈線文土器は製作技法上、模様の指文が始まる所から指文具が深く押され 、後両端或いはその一端に深い溝が刻まれている土器を称する。本研究では形式...
太線沈線文土器は製作技法上、模様の指文が始まる所から指文具が深く押され 、後両端或いはその一端に深い溝が刻まれている土器を称する。本研究では形式的、層位的な面を考慮し、太線沈線文土器に関して分類お試み、その編年や変遷に関して調べることを目的とした。従って 太線沈線文土器対象の属性を調べ、時間性や空間性を基に考慮した上それを3段階として設定した。
Ⅰ段階では器形1・3形がすべて確認され、模様の形態としては口緣部に短斜線紋や三角集線部が指文され、胴体部には橫走魚骨文が指文される土器が主である。この段階では 太線沈線文土器の成立は南海岸地域、特に東三洞を中心として始まったと考えられ、遺跡の分布範囲も南海岸地域に集中され現れると考えられる。
Ⅱ段階では器形2型が現れ、器形1・2・3形がすべて現れることになる。模様の形態としては三角集線文や菱形集線文が主に現れる。この時期には本格的に太線沈線文土器が南海岸地域を含む東海岸や南部内陸の一部にいたるまでの広い地域で確認されている。
Ⅲ段階ではⅡ段階から持続的に拡散された太線沈線文土器が最も広い範囲でもって分布することになる。この段階では短斜線文や諸集線文の指紋が消滅される反面、菱形集線文や斜格子文が盛んになる。また模様帯の構成で胴体部の模様が脱落し、口緣部にだけ限定され模様が指文される土器が主に現れる。Ⅲ段階の内陸地域では器形4型が出土されるが、器刑4型の登場は太線沈線文土器段階以降、形式学的な部分では南部内陸地域の鳳溪里式土器と連結できることが確認できた。
このような太線沈線文土器文化の拡散の背景として初期農耕と密接な関係があると思われる。東南洞1号主居地から出土された粟・キビなどの植物や南部内陸地域での定着生活が推定できる主居地・集落の確認は初期農耕の拡散を証明するいい資料になると思われる。このような初期農耕の拡散は内陸地域の住居地を利用した亭主生活への可能性、掘地具など各種の石器の発達に繋がることなどが推定できた。
太線沈線文土器は主に小片として出土される上に器形及び模様の形態や模様帯の構成などが把握できる遺物は極僅かでる。そのため太線沈線文土器の全般的な文化を究明することは難しい。今回の研究では太線沈線文土器の指紋技法などに関してまではいたらなかったが、これからの発掘成果を参考にこのような問題点を補完していきたいと思う。
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