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東ケ崎 祐一 경희대학교 일본학연구원 2011 일본학논집 Vol.26 No.-
一、本鎬は前号に揚載した拙著 「『伊勢參宮西国巡礼道中記(仮称)』 について(1)」 の 練編である. 底本·形式·凡例その 他については(1) と同一であるので, 参照されたい. 一.(2) は 熊野本宮を出て湯の峯(22才, 天明四年間正月8 日)~ 垂水(21ウ, 同2 月7 日) までである.
早稲田大学本『朝鮮語訳 小說 三』 「崔孤雲伝」(上) : 翻字, 及び, 諸本との主たる校異(稿)
箕輪 吉次 경희대학교 일본학연구원 2011 일본학논집 Vol.26 No.-
2004年に,昭和45年の大学院入学前後からの大先輩, 谷脇理史さんのお世話で.早稻大学で硏究年を送ることができ,旱稻田大学図書館や, 都内の 図書館で, 主として朝鮮に開係のある書を 棢羅的に見ていく内, 早稻田の服 部文津に 朝鮮 開係の書があるニとに 気付き, 早速閱覧した書の内の 一つが 『 朝鮮 語訳 』である. 『隣語大方』と開係のあることはもちろん.その「崔孤雲伝』も, 同書の識語から, 対馬藩朝鮮語通詞の手によるもので, きわめて貴重な書であることを知った. .日本に由来する「崔 孤雲伝』 あるいは「崔忠伝」の 写本は, 京大本など各種あるものの. 苗代川 系統の 写本が 主で, 何故か, 対馬藩そのものに 由来する 写本がなく, 日頃不思議に思っていたのだが, 本書こそ, 対馬落朝鮮語通詞の手によるものである.
朝鮮日報の社說から見ゐ日韓關係 : 1946年~1965を中心として
畑中 愛 경희대학교 일본학연구원 2008 일본학논집 Vol.23 No.-
1945年8月15日、韓国は日本からの)解放をもって1910年以来の長きに亘る植民地時代に終止符を打ち、独立国家として步み出した。しかし、その後の道のりも決して容易なものではなく、朝鮮戦争、独裁政治時代等の苦境を棄り越え、今日に至る。 その過程において、日本との関係はどうであったか。本稿では単なる歴史年表ではなく、韓国で最も歷史が長く、事実上の有力紙である朝鮮日報の社説を通して両国の関係史を調べてみたい。また、その際、新聞の社說という性格上、各事項についてどのような立場をとっているのか、何を訴えかけているのか、「見出し」から論点を読み取り、整理することとする。
東ケ崎 祐一 경희대학교 일본학연구원 2010 일본학논집 Vol.25 No.-
ここで資料は、 筆者の実家所藏であつた、江戶時代中~後期成立とみられる道中記である。資料の題名『伊勢參宮I西國巡礼道中記』、筆者がその內容から仮に付け たものである。この資料は本來末手控えの類であるたぬ、題名は最初 からなかつたもの考えられる。
東ケ崎 祐一 경희대학교 일본학연구원 2009 일본학논집 Vol.24 No.-
本橋は東ケ崎(2007)において調査を行った際のヂータを整理したものである。 東ケ崎(2007)では、学生26名の宿題ノートに見られる漢字の誤りをピックアップし、分類した 。 論文中で紹介できた書き誤りは18例のみであり、他の誤りは紙幅の都合上、 割愛した。しかし殘りも書き誤りを分析するためには非常に重要なテ゜ータである。 そこで、 この高を発表することにより、 以前のもの補完するもとした。