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朱正暾 啓明大學校 國際學硏究所 日本硏究室 1988 日本學誌 Vol.8 No.-
徒然草を読んでみると, その各段に無常を説き遁世を勧めたり, 生死の一大事を覚悟すべしという文句の多いのに気づかれる。その説くところは, 「諸縁を放下せよ」, 万物流転の理を悟らない人聞は愚かな者であるという仏教的無常観に結びづかれていることがわかる。しかし必ずしも,それは仏教的符理に関する問題だけでなく,人生の現実としての死の到来に関する無常の 自覚的認識そのものの強調である。 無常を説くに当たって, 兼好は遁世者としてものを言う場合もあるが,時には俗人としてものを言う場合もある。したがって彼の言説には往々矛盾撞肴があると指摘されてきたが,前者の場合も世俗生活や俗世を観照するにおいて,たとえば「仮の宿りとは思へど,興あるものなれJ(10段)の如く教理ば教理として立てながら, 世俗の住まいの典にも心を寄せるという純粋な人間としての自由主義者的な兼好像をむき出している。それば確かに遁世者としては二律背反的な言動であって, 仏Bの立場からみると超克し止揚されるべき世俗への執念なのである。 しかし人聞は誰でも現世に執着し, 決して現世から離れようとしない本J能^を持っている。人聞はこの世の永生と常住を願う。それをむざんに踏みにじ号無常という真実は人間的とは言えない。無常そのものが流転であって消滅や死を意味する限り人間は誰でも出家や往生を願わない。ここに無常の原初 的な矛盾性, 二重性があるわけである。徒然草の成立した中世においてもその点は変わりないと思う。人間兼好もその例外ではない。ここに兼好の混在的無常観の問題が提起されるのである。無常の文学としての徒然草も,このような周囲環境の中で互いに絡み合いつつその文学の世界が成立展開されたと考えられ忍ので,この点、に焦点を据えて本ャ論文を展開してゆくことにしたい.
朱正暾 啓明大學校 國際學硏究所 日本硏究室 1984 日本學誌 Vol.4 No.-
方丈記の作者鳴長明は,由緒ある神宮ョの家に生まれ,和歌や管絃・琵琶など芸道のみを歩んできた鎌倉時代の文人であり芸術家である。 本来,長明は,父長継のあとを継いで神宮ーとして社会的に身を立てて好きな芸の道を歩もうとしたらしいが,一族の妨げによって父の跡を継ぐことができず,社会的に失脚されてしまい,ひたすら芸術に耽けこむようになった。 したがって, 技は世俗を離れて方丈の庵を結んだ後も,聖なる仮の草庵で仏教的修行には恵念せず,ただ閑居の気味に陶酔して和歌や管絃・琴・琵琶などを生涯の友として暮らしたのである。ここで一体どんなわけがあって長明をして芸術の世界に身を投げこませるようになったのであろうかという問題が提起されてくるのである。それば禰宜事件によって決定的に社会から失脚されてしまった,没落貴族の長明にとっては,その屈辱[と自覚されていた以上彼の辿忍べき道程というものは,必然的に「まことの道J,つまり芸術の道のみしかなかったからである。 だから社会的地位なしの芸術家というものは,容易に和歌や音楽にひたすら楽しむ数寄者としての危険性が暗に心の中に潜在しているから,長明の芸術世界も数寄者的な隠者の世界そのものJこなれ吾可能ャ性があると考えられるのである。 本論文では,そのようなところに焦点を合わせて長明の在俗時代の家柄や家庭的社会的周囲とその生活瑳境や,長明をして芸術の世界に歩ませた理由など彼の芸術世界が形成されたと考えられる間接的直接的背景を探究したのち,隠者的な数寄者精神によってくり広がれていく長明の芸術の世界について方丈記を中心に分析考察してみようとする。