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류리수 한국일어일문학회 2003 日語日文學硏究 Vol.45 No.2
有島武郞は'個性'に深く沒頭した作家でありながら, '社會'との關係の中で藝術家の意味を探していた.このように社會的な視線を持っていたにも係わらず, 彼の作品や評論等では, 戰爭を通じて對外的に膨脹して行こうとする日本の行態に對して全然觸れてない. そのため, 他の自樺派の同人と同樣に社會を背けて理想世界だけを追求した觀念的な作家に過ぎないと誤解されやすい.しかし, 彼が思想を形成し始めたアメリカ留學時代の前後, 彼の私的な日記や手紙等から日本の軍國主義及び帝國主義に對する激烈な苦惱や否定に會うことが出來る. 熱烈なキリスチャンである有島は, 軍隊生活を體驗して國家を徹底に否定するようになる.ところがアメリカ留學中,日露戰爭の便りに對しては普通の日本人とあまり異ならなく. 有利な故國の戰況を喜ぶ.その中,トルストの非戰論とクロポトキンの無政府主義に深く打たれて, '博愛心と愛國心とは兩立できない'ということを覺るようになる.弱小國を侵奪する帝國主義,資本主義の日本,因習や傳統を强いる日本を否定する'個'の思想を固めて歸國する.しかし, 日本の自然に懷しさを强く感じ, 彼が對蹠すべき'日本-家-父'と固く握手する.卽ち, 有島武郞において國家とは, '無'として否定されるべき權威的な國家でもあり, 愛すべき美しい自然と血肉の情としての國家でもある.有島を迎えた日本は朝鮮を侵奪していた. 彼は朝鮮を同情す一方,日本の侵略を西歐の帝國主義と同じものと普遍化させる. 以上のように, 有島は理性的には否定しながら心情的には愛する'國家'を求うために苦鬪したのである.その朝鮮の救濟策として彼は心??の救濟を救めたが,それは結局日本の救濟策でもあり,人類の救濟策でもある.この救濟策は'內面的な要求が前提された時のみ,社會の改造が可能になる'という彼の思想に發展する.それは個??の個性によって本能的生活をする常習的反逆者であり,人生の無政府主義者である'自由人(loafer)'を追求するようになり,その思想は彼の人生や作品の軸を成している.