近代は人間の思考が主体になる時期である。西欧からの自我形成という思想的な影響は女性に例外なく思惟の自由を悟らせてくれた。伝統的な家庭から離れた公的な...

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진주 : 경상대학교 대학원, 2009
학위논문(박사) -- 경상대학교 대학원 , 일본학과(협동) 역사및사회문화 , 2009. 2
2009
한국어
경상남도
韓日「新女性」の近代意識に對する硏究
iv, 185 p. : 삽도 ; 27 cm
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近代は人間の思考が主体になる時期である。西欧からの自我形成という思想的な影響は女性に例外なく思惟の自由を悟らせてくれた。伝統的な家庭から離れた公的な...
近代は人間の思考が主体になる時期である。西欧からの自我形成という思想的な影響は女性に例外なく思惟の自由を悟らせてくれた。伝統的な家庭から離れた公的な空間では女性は女性であるということ自体で、充分な関心を集めた。その中に韓日両国の「新女性」がいた。
本考では1910~20年代の韓日の「新女性」の近代意識を両国の婦人雑誌を基にして比較してみた。研究方法は文献調査で、基本資料は『婦人公論』と『新女性』である。当代の姿を速く伝えるという雑誌の特性から見て、二つの婦人雑誌には当時の「新女性」の近代意識が織り込まれていると思い雑誌の記事の分析により両国の「新女性」の類似性と相違点を探そうとした。
『婦人公論』と『新女性』の記事の中で婦人問題、即ち、恋愛、家庭、教育、職業、社会参与が主題になっている記事を分類、分析した。創作物と小説類は除いて社説、論説、寄稿文などを研究対象にして談論の主題が近代女性なら著者が男性であっても分析対象とした。両国の「新女性」の近代意識を比較した結果、次のようなことが分かった。
韓日両国の女性たちの考えた恋愛の前提は自然な男女交際であったと思われる。日本では恋愛の感情だけあればだれでもその恋愛は正当であると考え、恋愛そのものを尊重する傾向にあった。一方、韓国では自由勝手な恋愛にはまだ憂いを表す傾向にあった。又、恋愛は性からの解放を切望していた。日本の女性は男女の性愛は当然のことで、かえって女性たちも堂々と主張しなければならないこととして認識していた。一方、韓国女性にとって純潔と貞操は守らなければならないことで、結婚している女性の恋愛は韓国の社会では許されない風潮にあった。
韓日両国の女性たちの考えた家庭は、まず自由恋愛の結果としての家庭であって、その中での夫婦関係は対等、平等であり、また、子どもを中心として家族が団欒できるスイート・ホームであるというものであった。不幸にも、配偶者の選択の誤りや家庭の中での夫婦関係の行き違いが生じたときは、韓国ではそれを克服することよりも順応するとか受け入れる方向で解決した。それに対して、日本の女性は、それが離婚を前提としていないとしても夫に改善を要求したり、あるいは自分がもっと前向きな行動で生活の主体になることに躊躇しなかった。人格として対等で平等志向的な夫婦になるためには、韓国では適度に離れて生活する必要があり、女性たちに「職を持て」と積極的に勧めた。その反面、韓国では固定化している伝統的な因習を変えることが難しい現実の前で女性たちに譲歩と忍耐を強調した。それに対して、日本の女性は、そのような夫婦になれないのであれば、従順で現実順応的であるよりも、強い女性になって西欧の平等志向的な夫婦像を積極的に受け入れようとする姿勢であった。家族が団欒できる家庭を作るのは、韓国では家庭の中の女性の努力の如何によるものと考えるのに対して、日本では家庭を小さい社会体としてみなして構成員のお互いの配慮によって作られるものと考えている。
韓日両国の女性たちは、日常生活の水準を越えて真の知識になる教育が必要だと考えていた。両国の女性たちは良妻賢母になるための教育より、独りの人間として主体になるための教育、裁縫とか料理を上手に作れる教育より深みある知識を欲しがっていて、そのために上級學校への進学を望んでいた。また、そのような教育を受けてから一人前の市民になろうとした。ところが近代教育が女性にもその門戸を広げていったのは事実であるが女性教育の内容、授業の年限、社会的な認識は相変わらず否定的であり、消極的であった。その中でも両国の新女性たちは女性教育の環境を改善しようとした。日本の女性が、女性たちに賢母であることを期待するなら男性に賢夫になるための教育をさせなければならないと言う男女同等な教養を要求したのに対して、韓国では国家のための母性教育の枠から抜けられなかった面があった。より高い知識を得るため日本の女性が、制度的な変改を要求しながら聴講生とか夜学、講演会などへの積極的な参席を促しているのに対して、韓国の新女性は制度的な改革の必要性を感じながらも現実的な代案として読書を強調している。市民としての韓国女性は日本女性に比すると国権喪失という環境の下にいた。そこで、当時の韓国社会は知識ある女性に対して、「権利と義務を持つ市民」としての役割よりも「ろくに學べなかった女性たちのリーダ」としての役割を期待した。新女性達もそれに応えた.
韓日両国の女性たちの考えた職業は、まず経済的な独立を意味した。そして職業が自己開発の切っ掛けになると考えた。また、職業につくことを通して社会的な貢献をしようとした。だが現実的に女性たちが働けるところは多くなく、職業を持ってからは職場と家事との二重苦で悩んでいた。近代において、女性たちに職業を持つ機会が与えられたのは意義があるが職業を持っていたからといって、そのことが経済的な独立をもたらしてくれることは無かった。彼女等がもらう賃金では経済的な独立は難しかった。「新女性」は一般の女性たちに比べると比較的高等な教育を受けた人である。そして専門職とか事務職に携わっている人が多かった。彼女等の中には先覚者的で啓蒙的な立場で社会奉仕を考えていた人たちもいたが彼女等が職業探しに使った熱情だけその職業を通じて社会寄与を考えたとは言えない。
両国の「新女性」の社会参与で、当時、両国女性に共通している特徴は参政権要求、男女同等の教育権要求など啓蒙活動の分野で女性たちの活動が積極的であったことである。参政権について日本では限られている環境のなかではあったが、政党加入、集会に参席できる法律的根拠を獲得した。一方、韓国は国権のない状態であって積極的な活動はできなかったが理論的に分かろうとした。男女同等の教育を要求することにおいて韓国と日本はほとんど同じであった。これは当時、すでに両国女性の意識が成熟していたことを表していると思われる。教育内容については韓国女性には民族意識の高揚と次世代のための女性教育すなわち母性教育を強調する面があった。啓蒙活動の面では日本女性は多様な方面に関心を持っていて、実際の活動にも積極的であったが、韓国女性は日本女性に比べると消極的であった。日本の影響を受けながら諸方面への啓蒙意識は持っていたが行動力はあまり高くなった。しかし農村の婦人啓蒙運動には積極的に参加していた。それは韓国の新しい女たちにとって一種の使命感のようなものであった。
以上のように韓日の「新女性」は類似性を持ちながらも相違点があることが分かった。それでは、このような類似性と相違点はどこから来たのであろうか。
類似性は両国の近代化への始りが同じであったことに起因すると思われる。鎖国から開国への道は日本はアメリカ、韓国は日本という外力に押されて門戸を解放して、それによって西欧の近代制度を国内に移植し始めた。近代化の過程で大きな変化を経験した階層が女性といえる。近代化は女性たちに私的な空間から公的な空間への移動を可能にした。そのような空間の移動は女性たちに新しい刺激と新しい思想に接する機会を与えた。西欧の自由主義と民主主義、近代資本主義の思想による自由恋愛と新家庭の中で女性の主体性を探すこと。近代教育の拡大による自我の形成。女性の地位を向上させ、家庭の中での奴隷的な関係から解放されるという認識からの経済的な独立の追求。また個人の力より団体で女性の権益を求めようとした。このような動機は両国女性において内部的な同質性をもたらした。しかしながら、受け入れて発展させるところでは両国の社会の環境の支配を受けて、両国の女性たちの意識に相違点をもたらしていた。
明治期の新体制についての混乱を克服した以後、大正期の日本は既に近代性を揃えた環境にあった。一方、韓国の社会は準備ができていないまま近代が移植され伝統社会の因習が根強く残っていた。又、韓国は日本の植民地であったためその影響から日本と同じ現象を表すが、社会的な因習、特に男性の女性に対しての認識は相変わらず伝統的な思考に留まっていた為、「新女性」の思考と行動は日本と違っていた。日本の女性に比べて韓国の女性は個人の自我と個人の発展の前で男性と国権回復という二重の限界性を持っていた。
両国の「新女性」は近代の教育に恵まれて自我、自覚、主体性を持っていた女性であった。日本の女性は自分のことを表現しようとしたり、自分の意志によって行動しようとしたりした。又、家族や社会について改善と改造を要求した。明治から累積してきた女性教育の成果は大正期の半ばを過ぎるともう「新女性」の特徴は一般の女性にまで拡大する程に発展した。その反面、韓国の女性に於いては自我、自覚、主体性の前に伝統的な因習が根強く残っていて、その上に民族解放という大きな課題があった。社会的な統制とその克服の為の努力は日本の女性に比べて受動的で消極的だと考えられ易いがそうは断言できない。その理由は韓国の「新女性」は近代の教育を受けた女性として使命感を持っていて、当時韓国の社会が必要とする役割に最善を尽くそうとしたからである。
このような類似性と相違点は「新女性」の時代以後の両国の女性社会の発展の様相を違う形にする原因になったと思われる。
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