論文の対象と資料: 本論文で対象にした時期は 1876年から 1882年までの時期であり、この時期に明治日本を見聞した三人の修信使たちの見聞記及び復命書を主要テキストにして、関連公文...

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2004년
Japanese
한국연구재단(NRF)
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論文の対象と資料: 本論文で対象にした時期は 1876年から 1882年までの時期であり、この時期に明治日本を見聞した三人の修信使たちの見聞記及び復命書を主要テキストにして、関連公文...
論文の対象と資料: 本論文で対象にした時期は 1876年から 1882年までの時期であり、この時期に明治日本を見聞した三人の修信使たちの見聞記及び復命書を主要テキストにして、関連公文書と個人著作を参考した。開国後の最初の国外見聞記である金綺秀の「日東記游」、天下圏の動揺と「自主」概念の発生を見せている金弘集の「大淸欽使筆談」や「修信使金弘集復命書」(以上、『金弘集遺稿』)、国家表象としての国旗、国語、全権制度などが「ネーションの表象」として意味化された朴泳孝「使和記略」が、それである。各々の章で、その内容を略述すれば次のようである。
第一章.自己表象と他者―近代日韓の出合い、「日鮮修好条規」と国家語の要請: 共通言語、すなわち近代文学の表現としての国語の成立とかかわって注目すべき部分は、まさに国際条約をきっかけに成立した世界体制への編入である。国語と国家の「接続」は、東アジア共通文語圏の消滅と同時に進行した事件であった。その消滅は、なによりも清帝国(、)あるいは天下的な旧秩序と対立した、日本によって媒介されていた。「日鮮修好条規」(1876年)がそのきっかけであった。日本は条規中に、「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」と表現し、朝鮮を諸外国に先駆けて「独立国」として承認、清朝の宗主権を否認した。この条規の中で本論文の注目した部分は、「第三条」であった。「第三条の規定をめぐる解明の要点は二つある。第一は漢文翻訳本を前提に、日本の自国の国文(「其の国文」)使用を認定する部分であり、第二は朝鮮側が明治日本の初めの提案にあった「漢文」と言う言葉を「真文」に修正する部分である。朝鮮はこの短い規定を間に置いて、初めて「外国語と自国語」という図式と対面した。つまり第一条「独立国(自主ノ国)」規定の政治性に対応する文化的表現の総体がまさに第三条であった。国家意識と国文意識とは、その起源において持続的な外交と関連公文書の交換や相対国の言語に対する観念(外国語意識)により、外的に挿入された他者的な構成物であるということだ。
第二章.「日東記遊」の 修信の文事と脱中国化する修辞の配置: この章では、間文化的な語用論によって金綺秀の修信使行の全般を説明した。金綺秀の使行記は既存の通信使記録が共有したフィールド∙ワークとは根本的に異なる出来事を見せている。金綺秀は交隣の復命と近代の体験の間で揺れ動いていた。「春秋の礼」と「万国公法」の間の差、 事大交隣と近代外交の間の振動と対面するようになった儒者は、悠長な「真文」の文字で世の中の「食うか、食われるか」の弱肉強食関係、競争や財貨、軍事や力の問題を語らざるを得ない。こうして金綺秀は政体の尊厳と見聞への要求の間に「修信という垣」を設定する。まだ朝鮮には知られていなかった西洋文明(「未及聞」)を制限的に表象する一方、認識の限界を明らかにする態度(「不知其何法製造」)の間には「修信の垣」があった。金綺秀は「春秋の礼」と「交聘」の前例という垣の中で対話して行動し、日本の官吏たちは万国公法やロシアに対立する日本、朝鮮、中国の三国同盟というフレームでその垣根を越えようと考えた。(自立之國 其三、 我與貴國與中國之結)。
間文化的な体験に対する彼の動揺は「奇技淫巧か、利用厚生か」という疑問に集約される。奇技淫巧か、利用厚生かの葛藤は、実質的である具体的な判断を難しくし、このような状況で適切な修辞の配置を作り出した。核心は天下秩序の言語的秩序に反せず、見聞を全般的な評価の次元で引き上げることにあった。「勝於中国」(「清」ではない)という概念―中国を動員する判断の「審級」(level)は、そうして選択された。つまり、金綺秀は正徳の観点で日本を批判しながら、技巧―利用厚生の次元では明治日本の変化をなかば肯定的に理解しようと思った。彼の記録によく現われる「中国よりすぐれる」(勝於中国)という評価の次元がそれである。近代文物を認定する評価のレベル、利用厚生という儒者の観点で脱中国化を遂行する言語が「勝於中国」の修辞の配置である。
第三章.漢字表象と西欧文明―金弘集の訪日復命と「大淸欽使筆談」: 漢文は一つの「神聖な黙語」 (silent language)として天下という共同体を想像できる媒介であった。漢字は実在の発現であり、真理の体現(真文、真書)であると信じられていた。漢字表象とそれに係わる儒学という価値体系を通じて、朝鮮は「中華」(または、小中華)という空間、「真理内包的言語」に到逹することができた。特に、「聖人の文字」を通じる漢字コミュニケーション-筆談という状況を支配している情調は、天下的一体感、いいかえれば「文字同、政教同、情誼相睦」(『金弘集遺稿』、三〇六八頁)という思考である。
だが、「自強」を論じている金弘集と清国外交官黄遵憲、何如璋との筆談で重要なのは、このような伝統的言語観に縛られる情況ではない。言わば、筆談の内容自体が筆談というフレームを構成する真理共同体的な内包を解体していた。彼らの対話を支配する言説である「自強」+「自主」=independentという新しい造語こそ、筆談という天下の語用論的な秩序が不可能になるはずだと暗示している。 新造語と在来語の新しい使用が、「神聖な黙語」と「神聖な真理」の結合-天下の言語を解体していたのだ。翻訳語としての漢字表象の出現がそれてある。
自由、自主、自立、独立の出現。その時、漢字は表象的、媒体的な手段(メディア)へと転落した。「道」という目的と、本質的、不可欠な関係を持つと信じられていた漢文―「真文」が、西洋文明の新しい価値を積んで運ぶ「器」に転落するようになったのである。たとえば、「富強」と「自強」をめぐる思考は、漢字で表象された西洋文明の理解方式を如実に見せている。高宗と大部分の知識人は洋務改革の標語になった「自強」の意味を「富強」と同一視したとか、伝統的な文脈(君子以自彊不息、「易経」)で理解したと考えられる。翻訳のプロセスでならば、概念の創案と収容に漸進的に苦悩したが、朝鮮(と中国)のように、日本の訳語を輸入して使用する所には、むしろ新造語が伝統的な文脈の中に中和される可能性が濃厚であった。朝鮮のような場合には、新造語は「経書」の読み取り方式のように既存秩序に統合されてしまうとか、すっかり拒否される可能性が大きかった。「真文」は、言葉や語彙ではなく、統語論(シンタックス)全体の次元のものであったからだ。朝鮮の知識人において、単語として分節化された言語―訳語というのは、なかなか収容されにくい異物であった。
第四章.国民国家の表象― 朴泳孝 『使和記略』の口語 状況について: 文字の使用と国家表象の使用は、朴泳孝の使行で一番の重要事項として指摘できる。この使行による重要な成果の一つとして「太極旗」の使用が挙げられる。朝鮮を代表する最初の「全権大臣」であった朴泳孝は、朝鮮の国旗を掲げ朝鮮語で演説、返答し、独立国としての朝鮮を外的に表象してみせた。
朴泳孝の日記はそれ自体のまま、非常に複雜なものであった。漢文や各国語の日本語翻訳本、(記録されなかったが) 英語、国漢文混用の文章などが不均等に配置されている。このような表記形態を産み出した核心的な条件は、確かに万国旗の配置の中に個々のナショナリティーを自国語として表示するという情況が登場したためであった。ナショナリティーとの同化物として個別外国語が認識された瞬間、「朝鮮語」がようやく出現し始めたといっても過言ではないであろう。特に多くの国家とそれらの言語が交差するという口語状況は、国家間の対称性への要求をより一層鮮明にした。
朴泳孝は、「書き下し」と対応する形態である国漢混用のエクリチュール(例えば、「日皇」への別辞)を、口語発話を書き移す媒体として用いた。ハングル、漢文、国漢混用文、外国語の全てが一つの紙面で競い合い多言語の混種(hybrid)的配置―あるいは、構成的実踐(compositional practice)は、当然その中心言語と翻訳された言語の権威を揺るがせてしまう。 このような混種的な文字配置を通じて発見されたものは、寧ろ文章シンタックスの基盤ともいえる「自国の口語」であったと考えられる。「民族、言語、文化が均質的、単一的な実在(reality)として想定されるのは、翻訳的表象を通じてであった」。 朴泳孝の「朝鮮語」意識は、ある意味で「外国語」、特に「日本語」に対する意識を通じて発生したと考えられる。
結び-明治日本への見聞と朝鮮語の意識: 共通文語の破綻としての「丙子修護条規」(1876年)は、朝鮮の言語意識において重要な断絶点であった。天下から万国への転換、また漢文から国文への転換が始まったのである。それが、具体化された経験としての日本見聞は、万国体制の内面化や国文概念の導入過程において重要な解明の対象だと考えられる。万国という政治意識の中で、他国の言語を「野蠻の声」(侏離鴃舌、金綺秀「日東記游」)として見做していた文化的自尊心はすでに堅持され難いものになっていた。むしろ外国語とそれに対する翻訳的表象のプロセスで新たに浮上したのは、「朝鮮語の存在」、あるいは「朝鮮文の不在」という問題であった。 外交という口語状況、他者の言語によって、「眞文」が「漢文」に、「漢文」が「漢字」に、そして漢字が「中国の文字」として認識され始めた。国語は、すなわち近代ネーションの表象であり多言語的世界の配置物、また翻訳的表象の結果として作り出された。表象の移動は、単純に「文語性から口語性への移行」ではなく、新たなエクリチュールの創出から得た経験構造の再編であった。 近代ネーションの生産のためには、その媒介であり、表象体系である近代的エクリチュールが存在しなければならない。しかし、近代の国語は「国民語」ではなく「国家語」として始まったと考える。自国語がはじめからあった「国民の血液」(上田万年)のように感じられるのは、あくまでもわれわれがネーションの体制を生きているからである。近代ネーションとナショナル・ランゲージが、内的な部分よりも外的な部分、他者への経験を通じて先に意識されたという事実は、再度強調される必要がある。 朝鮮の場合、そのような外部は明治日本への見聞を通じて、経験され、表象された。「朝鮮語」意識は、「外国語」、特に「日本語」に対する意識を通じて強化された。
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다국어 초록 (Multilingual Abstract)
第1章.自己表象と他者―近代日韓の出合い、「日鮮修好条規」の国家語 1.他者の間で表象される自己―国家語としての国語 2.口語の空間ー「談判」の図像学、天下...
第1章.自己表象と他者―近代日韓の出合い、「日鮮修好条規」の国家語
1.他者の間で表象される自己―国家語としての国語
2.口語の空間ー「談判」の図像学、天下と独立の表象について
3.国文と真文、見聞記の文学的意味
第二章.「日東記遊」の修信の文事と脱中国化する修辞の配置
1.修信の垣と間文化的語用論
2.奇技淫巧か、利用厚生かー中華と禽獣の間に
第三章.漢字表象と西欧文明-金弘集の訪日復命と「大淸欽使筆談」
1. 天下と自強―開化期の漢文字と筆談の意味変動.
2. 富強と自強―「自主一語」、漢字に表象された西欧文明.
第四章.国民国家の表象(リプリゼンテ)―(ーション)朴泳孝 『使和記略』の口語(oral) 状況(situation)について
1.国旗と全権という表象―万国とネーションの表象
2.国旗と全権と
3.混種のエクリチュール、国文という配置物―天皇の前での朝鮮語頌辞へ
4. 翻訳的表象物としての朝鮮語―見聞記としての様式的特質.
第五章. 見聞と国文ー結語と今後の研究課題について
1.国家と国語と―朝鮮語の認識と日本の役目
2.「間」から作られたネーション―日韓の西洋見聞録と間文化的自己表象