4世紀から韓半島の南部地方を平定し、經營していた百濟の將軍木羅近資の後裔である木滿致は、百濟王權との合意下で多數の族長達を率いて日本列島に移住し、蘇我氏になったと分析さ...
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4世紀から韓半島の南部地方を平定し、經營していた百濟の將軍木羅近資の後裔である木滿致は、百濟王權との合意下で多數の族長達を率いて日本列島に移住し、蘇我氏になったと分析さ...
4世紀から韓半島の南部地方を平定し、經營していた百濟の將軍木羅近資の後裔である木滿致は、百濟王權との合意下で多數の族長達を率いて日本列島に移住し、蘇我氏になったと分析されている。蘇我氏が特に6世紀半ば以降、大和政權の最高權力者になられた背景は、6世紀初め頃から廣大な任那の領地を百濟と新羅とに割讓し、そのかわり多くの物資を倭國に仕入れるようにし、國家基盤の形成に貢獻したところが大きかったためと見られる。この際、慶尙道地域の伽倻の領地を新羅に割讓した理由は、旣に532年に新羅に滅亡させられた舊金官國(南伽羅)を倭國の方に取り返し、そこに任那日本府を立てるためであったと見受けられる。任那が滅ぼされてから、蘇我氏を中心とした當時の大和政權は、卽座で武力により任那を修復することが出來なかったので、推古朝に至っては聖德太子を迎えいれ、活發な外交活動により解決を圖ろうとしたと見られる。隋と對等な面貌を誇示したり、官位12階を完成するなどの改革に勵んだが、それは何よりも韓半島からのより多くの移住民を迎え入れようとする努力ではなかったかと見受けられる。そのような努力で國家の面貌を整えることはできたが、任那を修復するまでには至らなかった。唐帝國が出兵や戰爭を禁じたのが百濟や蘇我氏を一層焦るようにし、東北亞での武力爭奪はかえって本格化したと見られる。高句麗が唐の侵略を受け始める頃、それを好機に任那侵攻に成功した百濟は、大和政權に大?的な支援を要請してきたはずである。その際、大多數の群卿大夫達は戰爭や大規模の傭兵支援等を恐れたが、蘇我氏はそれに乘り出そうとしたのではないかと推定される。それが蘇我氏の滅亡の原因であったろうと見受けられる。韓政が蘇我大臣を殺したという『日本書紀』の分註の記錄はそのようなことを語っているものと判斷される。
참고문헌 (Reference)
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2 김부식, "삼국사기"
3 최문정, "도래인의 정체와 일본창세신화의 의미" 일본어문학회 42 (42): 475-510, 2008
4 최문정, "국토창생신화와 천손강림신화의 배경 -『日本書紀』 임나관계 기사의 구조와 해석을 중심으로-" 일본연구소 (38) : 75-106, 2008
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8 西本昌弘, "東アジアの動乱と大化改新" 468 : 1986
9 "日本書紀" 岩波書店 1967
10 山尾幸久, "日本国家の形成" 岩波書店 1977
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11 森浩一, "日本古代文化の硏究 鐵" 社會思想社 1974
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『금석물어집(今昔物語集)』 본조(本朝)(일본)부(部)의 효행담 고찰
잇사의 가을 홋쿠에 나타난 <다듬이질(砧)> 이미지 고찰
明治前期の女流小說に見えるフェミニズムへの傳承 -?口一葉の『われから』を中心に-
학술지 이력
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2009-01-01 | 평가 | 등재학술지 유지 (등재유지) | ![]() |
2007-08-21 | 학회명변경 | 한글명 : 외국학종합연구센터일본연구소 -> 일본연구소영문명 : INSTITUTE OF JAPANESE STUDIES CENTER FOR INTERNATIONAL AREA STUDIES HUFS -> INSTITUTE OF JAPANESE STUDIES | ![]() |
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학술지 인용정보
기준연도 | WOS-KCI 통합IF(2년) | KCIF(2년) | KCIF(3년) |
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2016 | 0.46 | 0.46 | 0.37 |
KCIF(4년) | KCIF(5년) | 중심성지수(3년) | 즉시성지수 |
0.33 | 0.3 | 0.742 | 0.11 |