本論文は1990年代以後、日本の歷史學で``環境史``の硏究が活發に進行している中で、``戰爭と自然災害`` ``戰爭と環境``というテ―マで豊臣政權期に發生した自然災害(地震と水害)が對外關...
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2010
-
800
학술저널
413-437(25쪽)
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本論文は1990年代以後、日本の歷史學で``環境史``の硏究が活發に進行している中で、``戰爭と自然災害`` ``戰爭と環境``というテ―マで豊臣政權期に發生した自然災害(地震と水害)が對外關...
本論文は1990年代以後、日本の歷史學で``環境史``の硏究が活發に進行している中で、``戰爭と自然災害`` ``戰爭と環境``というテ―マで豊臣政權期に發生した自然災害(地震と水害)が對外關係、特に朝鮮侵略(壬辰丁酉倭亂)とどのような關わりを持っているのかについて考察した。その結果、豊臣政權の初期に現れた水害と地震が對內外的な政治狀況に影響を及ぼしたことはあまりみられない。特に當時の人人の間で洪水、風害という災害は振り返して發生するものとして認識したので、ある程度こうした災害に對應し、また防止することに努めたのである。地震の場合も ``天正地震``と呼ばれる大地震があったが、發生した地域は、三河と東海、北陸、美濃、尾張、伊勢、近江など政治權力の中心地であった京都、大坂地域とは距離があったので政治的に大きな影響を與えなかった。一方、豊臣政權の後期に發生した水害と地震の被害は初期とは異なり、京都という政治のシンボルで中央政治の中心地域で發生したので、この災害の影響は大きかった。特に伏見で起きた地震は秀吉に政治的な危機意識を一層感じさせたのである。なぜならな當時の人人は大地震が發生すれば兵亂が起きる可能性が高くなり、また爲政者の權力構造に變化がおこりやすいことと地震發生を理解したからである。本論文では豊臣政權期の水害と地震發生という自然災害が ``秀次事件``と ``秀吉の病死風文``、``日明講和交涉の破綻``という對內外的な狀況と絡み合って人心の動搖や反亂の兆し、社會混亂などを吹き起こしたことに注目した。こうした狀況で秀吉が今まで總動員して敢行してきた侵略戰爭が水泡に歸し、國內の情勢さえも不安な狀態になると、自分の率いる政權を維持するため、またほかの突破口をさがすため朝鮮を再び攻擊した点を明らかにしたのである。