この論文は、柳致眞が観客と疏通する演劇の本質的な側面に注目し、観客を中心において、彼らと疏通しながら教訓を与える観客志向性を創作原理として、劇作活動を&...

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대구 : 경북대학교 대학원, 2010
2010
한국어
대구
170 p. ; 26cm
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この論文は、柳致眞が観客と疏通する演劇の本質的な側面に注目し、観客を中心において、彼らと疏通しながら教訓を与える観客志向性を創作原理として、劇作活動を&...
この論文は、柳致眞が観客と疏通する演劇の本質的な側面に注目し、観客を中心において、彼らと疏通しながら教訓を与える観客志向性を創作原理として、劇作活動を続いているということを明らかにするのを目的にしている。このような觀點は柳致眞戯曲の変化が仕方ない受身的な選択ではなく、状況の変化に積極的に対応して行く過程での選択という作家の内的論理を説明することはできるという点で意味がある。
演劇は観客との出会いあってこその芸術だ。だから演劇で観客の役割が単純に観覧者にとどまらず固定されなくて演劇の受信者として、演劇をともに作っていく役割を遂行するようになる。このように演劇の受信者としての観客の機能に注目して、観客を中心において、彼らとの疏通を意図して劇作をすることを観客志向性と呼ぶ。このような、観客志向性の問題はの柳致眞の戯曲を理解するのに役立つ視点になる。柳致眞は観客を演劇の基本的な条件でおく、彼らに受容される裏側を考慮して劇作を作る。観客志向性を追い求めるからだ。柳致眞は演劇が舞台と観客の交流が可能なジャンルという点に注目したし、自分が想定した、内包観客と疏通しながら、教化の目的を果たそうとしたが。これが柳致眞の観客志向性と言える。
30年代前半の柳致眞は、新劇の樹立に関心を持った新劇観客を内包観客にしている。だから、被害者型の人物を活用して、共同憐愍を感じさせている。悲劇的な結末を通じて貧しい現実を強調した。このような式は、新劇観客に民衆の現実が分かるようにするためであり、また、感情移入を通じて、柳致眞は現実に対した問題意識を観客とともに理解し、憐愍を通感して感情移入された観客は作家が意図する劇の状況に沒入するようになる。作家が暴露する民族現実の矛盾を認識するようになり、これを改善しようとする努力に参加することができる。
民衆演劇を志向した柳致眞が劇硏(グックヨン)を選択して、 <土幕>という作品を発表したのは彼が追い求めた演劇が観客と疏通しながら彼らに教訓を与える演劇だったのである。それで、その対象が民衆劇観客から新劇観客に変わってても問題はなかった。彼らに新劇観客と疏通し、教訓を与えることができる演劇の形態で現われるようになったのだ.
30年代後半は、新劇観客のみならず、大衆劇観客まで内包観客が広がる、現実の問題に対して無関心な大衆劇観客を内包観客に含ませているが、柳致眞は彼ら大衆劇観客にも、民族現実の矛盾を認識出来、それで彼らの大衆劇観客が面白く見られるように劇の素材を変えながらも裏側にある現実の問題を置いて、彼らが植民地の現実を注入させようとした。それで愛情問題のようなロマンチックな感情の問題に悩む人物を主人公に登場させて観客の接近を容易にした。表側には大衆劇観客に慣れた愛情問題を見せながら、その裏側に彼らの愛情状況が問題にぶつかる原因で現実の問題を配置して浪漫の裏側の現実の矛盾を認識させようとした。
現実的な選択において劇硏活動を始めるが、柳致眞は次第に劇硏のアマチュア的な体裁に対して問題意識を持つようになる。このような問題意識は日本の新協劇団の影響で専門劇団という方向で具体化された。劇団が経済的な自立を通じて専門劇団化になるべきであり、興行劇においては競争力を備えられ、観客に面白さを与えながら立派に作った演劇を提供することが出来ると判断したのだ。
40年代前半の柳致眞の内包観客は国民劇観客になる. 演劇の対象が国民劇観客で拡がりながらこれらに楽しさと教訓をともに与えることができる人物が必要であり、国民としての望ましい姿を見せることで完全な人物を主人公に設定している。主人公は観客が望んでいる勇ましくて正義感がある人が大衆的な作品でよく使う人物の典型だ。しかし、これらが明らかな思想を持っているという点で大衆的な作品とは区別される。国民演劇時期の劇は事件を連続させる、またすべての問題が解決出来る肯定的な結末を見せている。柳致眞はこのような和解の結末を通じてその背景に存在する日本との現実を肯定的に強調する。
国民演劇だけが可能な時代に現代劇場を通じて見せてくれる柳致眞の演劇は、彼が30年代中盤以後提案した専門劇団の方式が実現された形と言える。このようなことから柳致眞の国民演劇の選択は仕方ない選択ではなく、観客と疏通しながら彼らに教訓を与える観客志向性を見せてくれる。
柳致眞の戯曲の変化は彼が劇作家傍ら演出家だったので出来た結果だ。柳致眞は自ら書いた戯曲が公演される時,観客の反応を直に目撃することが出来た。すなわち自分が想定した内包観客と実際観客の差を経験した。それで柳致眞はこの差を縮めるために努力した。自分が設定した理想的な観客と実際の公演を観覧する観客との距離を超えようとする試みが新しい内包観客を作るようになり、これは柳致眞の演劇の変化を現わしたものだ。
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