日本地名を調べて見ると三國系語源だと推定されるのが相當に多い. 本稿ではその中で「Ki(城)」だけを論議の對象とした. 現在日本地名表記資料で見れば城を漢字語そのまま音讀して「...
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다국어 초록 (Multilingual Abstract)
日本地名を調べて見ると三國系語源だと推定されるのが相當に多い. 本稿ではその中で「Ki(城)」だけを論議の對象とした. 現在日本地名表記資料で見れば城を漢字語そのまま音讀して「...
日本地名を調べて見ると三國系語源だと推定されるのが相當に多い. 本稿ではその中で「Ki(城)」だけを論議の對象とした.
現在日本地名表記資料で見れば城を漢字語そのまま音讀して「ジョウ」とよむ地名もありそれを訓讀して「しろ」とよむ地名もあるし「き」と讀む地名も多い. 前ニ者の場合では日本式音讀か, 訓讀であるが, 後一者の場合では百濟系借用語と推定される. 日本古語辭典では「城」の意味を表す「Ki」と言う言葉は大低 $quot;しろ$quot; の古代語だと解釋しているだけで,「Ki」の語源に對しては言及していない. 丸山林平平(1967)はその語源に對して敵の攻聲を防ぐ爲に石のへいを築き內と外を區畵した所 郞ち「限り」でその「Ki」の語源を探した. 李基文(1961), 大野晋(1974)だけが「Ki(城)」は百濟語らしいと言った.
筆者はもし$quot;山城$quot;を築城する技術文化が百濟から日本へ傳授したと言えばその築城技術文化と共にその技術者達も渡日されてその實物(城)に對する名稱たる「Ki(城」と言うことばまでも同時に渡っただろうとその可能性も否定出來ないと思われる. そのわけは當時百濟では城を意味することばに「Ki(己·只)」という音借字を借用した문증が三國史記地理志卷36の中に表われている.
新羅第35代景德王時代に昔の百濟地名と高句麗地名を全部漢字語で'改新した事實がある. 卽ち本來の百濟地名なる '悅己縣' を '悅城縣'とよび又本來の '結己郡' を '潔城郡'と. そして '奴期只縣' を '儒城縣' 等と改新したがここで百濟語が「Ki(己·只)」が漢字語の $quot;城$quot; に對應しているのを見受けられる.
日本側地名表記資料では $quot;城$quot; を現すことばに音판假名[Ki(歸·基·紀·貴)]が對應關係の借用例だと見受けられる.
それから[Ki(城)」の用子例は日本地名では勿論, 日本上代文獻資料-推古朝遺文·古事記·日本書紀·万葉集歌等でも多いに發見される. 播磨國風土記·常陸國風土記·肥前國風土記等でも[Ki(域)]の 用字例が多く見られる.
日本上代語では $quot;城$quot; さ意味する言葉に[Ki(城)」以外に, [Sasi(城)]と言うことばがもう一つある. しかし[Sasi]は(Ki)とは違い, 日本書紀の中でだけその用字例が見受けられるが主に三國關係地名表記の場合特に多く發見された(用例7參照)[Sasi(城)]の語源に對しては松井簡治(1967)·丸山林平(1967)·時枝誠記(1982)·中田祝夫(1983)·中田幸彦(1984)等がすでに古代朝語で推定した事がある. この[Sasi]と言うことばは[Ki]と共に $quot;城$quot; を表すことばだが[Ki]とは異り現在日本地名では用字例が殆ど無く, 他の上代文獻資料でも發見きれなし点でも推定される. 當時日本の借用語にも受容できない, [Ki]とは軌を異にするのだと推定される. この[Sasi(城)]は新羅鄕歌では[城(자시)]と言う用例が使われる点でも見られ, 古代新羅語(用例8參照)で中世韓國語(用例9參照)に至るまでその命脈を維持した事だが 近代韓國語に入り漢字語の[Seong(城)]に追われそれに代わる新羅語系だと思われる.
依って[Ki(城)]だけが 日本地名に反映された百濟系 借用語だと推定される.
일본어 접사(接辭) "적(的)" 의 성립 및 한국어로의 유입문제 고찰
일본어 담화문의 모사표현(模寫表現)의 형태분류에 의한 의미고찰