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        日本語の「勉強」の意味概念について -学習すること、という意味で使われるようになった時期について-

        사이토아케미 한국일본언어문화학회 2011 일본언어문화 Vol.18 No.-

        日本語と韓国語の類似性についてはしばしば論じられるが、語順が似ているとか、同じ漢語を用いる点、等を指摘する場合が多い。たとえば、学校教育に関する語について例をあげると、日本語の「教育」と韓国語の「교육(教育)」、「学校」と「학교(学校)」、「学習」と「학습(学習)」等のように、同じような漢語を同様の意味で用いる場合がある。しかし、中には日本でも韓国でも頻繁に使用しているが、異なった意味で用いている語がある。日本語の「勉強」と韓国語の「공부(工夫)」がそれにあたる。日本語では学習、または学習すること、学ぶことを「勉強」といい、「工夫」とはいわない。現代日本語の「工夫」は、「いろいろ思案して、よい方法を考え出すこと。あれこれと思いめぐらすこと。また、その方法。手だて。手段。」(精選版日本国語大辞典)の意味で、「勉強好きな子を育てるための授業の工夫」のような使い方をする。しかし、NAVER한자사전によると、韓国語の「면강(勉強)」には、「学習(する)」という意味はなく、「無理やりにさせること」という意味があるという。そのかわり、「공부(工夫)」に、「学習(する)」という意味がある。また、中国語の「勉強」にも、「学習する」「値引きして安くする」といった意味はみられない。この単語の意味は、「無理をする、無理強いをする」である。「勉強する」という意味の中国語は、「学习」である。本稿では、先行研究について言及したあと、日本語の「勉強」の意味について、辞書の記述をもとに調査し、①つとめはげむ。精を出す。②気がすすまないことを、しかたなしにすること。③学問や技術を学ぶこと。④経験すること。⑤商人が値引きをすること、値段をまけること等、幅広い意味があることを明らかにした。その際、先行研究で言及していた「しいてつとめる」「すこし無理をして・・・する」のような「勉強」の原義であるとも思われる意味の記述がみられる辞書とみられない辞書があることも明らかになった。その後、明治期の学制、小説、新聞等の用例を調査することによって、「勉強」が学校教育等において「学習(すること)、学ぶこと」という意味で広く用いられるようになった時期は、明治時代の初め頃からであったであろう、という結論を導き出した。

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        日本人韓国語学習者の韓国、韓国人、韓国語に関するイメージとその変化

        사이토료코 한국일본언어문화학회 2011 일본언어문화 Vol.20 No.-

        本研究では韓国語学習者の韓国、韓国人、韓国語に対するイメージとその変化について明らかにするために、2008年6月(前期調査)と2008年12月(後期調査)に初級韓国語学習者を対象として、前期調査でイメージ調査を、後期調査でイメージ変化調査を行った。また、前期調査の結果で因子分析を行い、韓国、韓国人、韓国語に対するイメージの因子を明らかにし、イメージ因子を基準として、前期調査と後期調査の結果を分析した。その結果、第一に、前期調査では、韓国語学習者は韓国、韓国人、韓国語に対して、概ね好意的で肯定的なイメージをもっていることがわかった。しかし、その一方で、韓国についてはやや内向きであるイメージを持ち、さらに、韓国人に対しては、親近感を抱かせるようなイメージをもっていないようであるということがわかった。第二に、後期調査から、韓国語学習者の韓国、韓国人、韓国語に対するイメージは学習によって変化していることがわかった。これらの変化は肯定的なものが多く、韓国語学習によって、韓国語学習者はもともと持っていた肯定的なイメージを強化していることがわかった。さらに、新たに肯定的で親近感のあるイメージを持つようにもなることも明らかにされた。このことから、韓国語を学ぶことによって、韓国語に対するイメージだけでなく、韓国、韓国人に対してのイメージも良くなることがわかった。

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        HIDにおける日本語教育支援への取り組み -2007年度の取り組みと学生へのインタビューを中心に-

        사이토아케미 한국일본어학회 2011 日本語學硏究 Vol.0 No.32

        本稿は翰林大学校のHID(Hallym International Dormitory)日本語寮における日本語学習プログラムについて言及したものである。本プログラムは韓国人大学生と日本人交換留学生が生活を共にし、日常生活において可能な限り日本語を使用することによって韓国人大学生の日本語会話能力の伸長を図ることを目的としている。また、HIDには寮生のために準備されたネイテイブの教員による必修科目である「生活日本語」と日本人留学生による「チューター授業」がある。そして、授業以外にも日本語の歌による「のど自慢」や「言語と文化の夜」の発表等があり、これらの行事を通して日本文化を理解することをも目指している。そして、韓国の学生と日本人留学生が共に多様なプログラムを体験することにより、お互いの言語、文化を理解し、グローバルな精神を身につけた人材を育成しようという取り組みでもある。ここでは2007年度のHID日本語寮の日本語教育に関する取り組みを中心に紹介すると同時に、寮生へのインタビューを通してHIDにおける日本語学習プログラムが韓国人大学生の日本語会話の学習や日本文化の理解に及ぼしている影響について述べた。インタビューの結果、日本語寮生の日本語学習に対する学習意欲が増す、日本語を話すことに馴れ恐くなくなった等の効果があると共に、日本文化の理解にも役立つということが明らかになった。

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        "韓国の中学校の日本語の教科書について -文化と言語行動に関する記述を中心に-"

        사이토아케미 한국일본언어문화학회 2011 일본언어문화 Vol.20 No.-

        本稿は、韓国における中学校の教科書である『中学校生活日本語こんにちは』(1冊、1種)と『中学校生活日本語』(1冊、8種)にみられる文化(日常生活に関する文化、伝統文化、大衆文化)および言語行動(意思疎通基本表現と関連した日本人の言語行動)に関する記載について調査した結果を報告したものである。調査の結果をみると、文化においても言語行動においても、各々の教科書によって扱っている内容が異なっていることが明らかになった。全体的には、文化については、衣、食、住に関する記述や年中行事に関する記述が多く、伝統芸能に関する記述が少ないことが明らかになった。これは『中学校生活日本語』の文化としては、「生活」に役立つ文化的内容がより重要視されるべきである、という考え方があるのかもしれない。また、言語行動の調査結果をみると、文化の場合より、さらに各々の教科書で記載項目にばらつきがあることが明らかになった。比較的記述が多かった項目は、挨拶、呼称、謝罪、感謝、拒絶(辞退)、あいずち等であった。文化および言語行動に関する教育は、より円滑なコミュニケーションをするために欠かせないものであると思われるが、特に言語行動については、どのような内容を、どのくらい、どのように指導すべきか、定まっていないのが現状であると思われる。このような現状を踏まえ、教科書にどのような項目をどの程度記載すべきか、について十分な検討がなされる必要があると思われる。また、文化教育は日本語教師の役割の一つでもある。今後日本語教師には言語教育とともに体系的な文化教育ができることが求められると思われる。

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        영상화된 고전 세계 ―1950년대의 세 영화를 통해―

        사이토아유미 ( Ayumu Saito ) 한국일어일문학회 2021 日語日文學硏究 Vol.117 No.-

        현재 고전문학의 연구와 교육에 있어서 영상이라는 매체를 무시하는 것은 현실적이지 않다. 만화나 애니메이션은 물론, 영화도 고전문학을 이해하고 감상하는 중요한 수단으로, 이번에는 영화를 연구의 대상으로 삼았다. 특히 1950년대의 세 작품, 「겐지 모노가타리」, 「오하루의 일생」, 「치카마츠 이야기」를 선정하여 검토하고자 한다. 이 작품들은 고전작품을 소재로 제작된 영화 중 시기적으로 가장 오래된 것들이다. 그리고 현재의 고전문학 연구의 기초가 형성된 시기에 제작되었다는 점에서도 주목할 만하다. 또한 당시 일본의 정치외교 상황과도 밀접한 관계가 있다고 상정할 수 있다. 세 작품은 각각 다른 성격을 지니고 있고, 문학작품의 영상화의 몇 가지 패턴을 보여준다. 앞으로도 문학 작품은 다양한 형태로 소개될 것이고,. 특히 한국의 연구 환경에서는 일본 고전문학을 외국 문학으로 수용하고 있으므로, 이와 같은 상황에서 영상을 어떤 식으로 대해야 할 지를 모색하는 것이 본고의 목적이다. Currently, it is not realistic to ignore images in the study and education of classical literature. Movies, animations, and of course comics are also important tools for understanding and appreciating classical literature. This time, I targeted movies. In particular, I will select and examine three works in the 1950s, "Genji Monogatari," "The Life of Oharu," and "The Crucified Lovers." These works are the oldest films made on the subject of classic works. It should also be noted that it was produced at the time when the foundation of current classical literary research was formed. In addition, a close association can be assumed with the political and diplomatic situation in Japan at that time. Each of the three works has a different character and shows some patterns of visualization of literary works. Literary works will continue to be introduced in various forms. Especially in our environment, we accept Japanese classical literature as foreign literature. The purpose of this paper is to find out how to interact with the image in that state.

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