これまでの植民地教育史における研究は日本の植民地の教育政策とそれに対する朝鮮民衆の抵抗運動に基づいて重要な成果を収めてきた。しかし、研究の観点を支配と被支配という二元...

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성남 : 한국학중앙연구원 한국학대학원, 2004
학위논문(박사) -- 한국학중앙연구원 한국학대학원 , 교육ㆍ윤리 , 2004. 2
2004
한국어
경기도
26 cm
지도교수: 이길상
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これまでの植民地教育史における研究は日本の植民地の教育政策とそれに対する朝鮮民衆の抵抗運動に基づいて重要な成果を収めてきた。しかし、研究の観点を支配と被支配という二元...
これまでの植民地教育史における研究は日本の植民地の教育政策とそれに対する朝鮮民衆の抵抗運動に基づいて重要な成果を収めてきた。しかし、研究の観点を支配と被支配という二元的な関係に固定したため、植民地教育の二重的な性格を十分解明することができなっかた。植民地教育は日本の同和政策を基本として行われてきたが、教育の実際面では同和’と差別’の二重構造を現れている。普通学校の訓育は同和政策の二重構造の側面である。朝鮮の児童を‘同和’するために、日本の小学校における訓育の体系とイデオロギーを普通学校において類似形態で移入するが、その裏では日本の小学校とは差別的な部分もある。そこで、本研究では普通学校と日本の小学校における訓育の実際について比較することで、植民地期における訓育の二重的な性格を明らかにすることを目的としてする。
本研究では訓育の概念を‘児童の身体と精神を対象にする教科外訓練活動’と定義し、その内実として、身体訓練・規律と徳目・学校行事という領域を設定した。普通学校の教育は日本の植民地教育政策を一番敏感に反映する部分であり、訓育の目的は‘臣民育成’であった。
普通学校と日本の小学校における訓育の実際について比較した結果、普通学校の訓育は二つの層に分かれている。すなわち、普通学校の訓育には同和政策の延長線として考えられる日本の近代的な教育の特性があった。その反面、日本の小学校とは異なる差別的な訓育の内容を内包することで植民地的な特性を現していた。普通学校と日本の小学校における訓育で類似する部分、すなわち、普通学校の訓育に現れている日本の近代的な教育の特性は次の通りである。
第一に、戦時状況(満洲事変・中日戦争・太平洋戦争)とファシズム体制による学校訓育は児童の身体を鍛錬し、天皇中心の国家イデオロギーを強調した。児童の身体を鍛錬する方法として、学校では体育活動を強化し、運動会に軍事訓練と類似した種目を導入した。このような団体訓練はただ児童の身体だけを対象をしたものではなく、身体訓練を通じて‘日本精神’の涵養を目標としていた。
第二に、訓育の徳目を見るとわかるように、児童を独立的な存在として認めず、‘集団を構成する個人’として認識した。普通学校と日本の小学校における学校行事は宗教的で国家的な性格を帯びてあり、それを通じて児童の思想を統制しようとする意図があったため、教育的な正当性を獲得しえない。それにもかかわらず、日本の研究者たちは学校行事の軍国主義的な性向を認めながらも具体的に批判することはしない傾向があるようである。
ここで、看過できない点は、普通学校の訓育が日本の小学校と類似な体制で行われていたと言えるが、朝鮮の児童が感じる文化的な異質感と心理的不適応は訓育の効果にも影響を及ぼしかねないという点である。日本の児童に‘臣民’を強調することは天皇に対する国民の道理で見なすこと画可能であるが、朝鮮の児童に‘臣民’を強調することは支配権力に対する服従に過ぎない。
次に、普通学校と日本の小学校における訓育の差別的な部分、すなわち、普通学校の植民地的な特性について次のように言えることができる。
第一に、普通学校は日本の小学校とは異なり、訓育の徳目として‘服従’と‘礼儀’を強調した。それは日本の近代思想が伝統的な武士道の精神と軍隊文化に基づいていたため、絶対服従を義務化し、服従的な態度を礼儀だととらえることに関係がある。植民地当局は朝鮮の児童たちに対して‘服従’と‘礼儀’が欠如していると判断し、その部分を学校訓育の徳目として強調した。軍隊文化の教育への影響は1882年の「軍人勅諭」と1890年の「敎育勅語」の内容に見出すことができる。
第二に、日本の同和政策は二重構造を現しており、文化的な次元では同一化を追求したが(同和主義)、法制的な次元では植民地の民族に政治的な権利を付与しない法的不平等(植民主義)であった。普通学校における訓育は‘日本人への同和’を目的としながらも朝鮮の児童と朝鮮の文化に対する任いものとしてとらえ、訓育の徳目を差別する二重性を含んでいた。
第三に、植民地期に当たる日本の大正期(1912~1925)には児童の個性と自律性に基づいた ‘自由教育運動’が展開されていた。欧米の教育学の影響で国家画一主義と干渉主義・注入式教授に対して反対し、学校現場では児童本位の自由教育を主張する教育運動が文芸・美術・綴方教育として実践された。しかし、朝鮮では自由教育運動の普及が阻止され、児童に対する新しい理解が許されることなく、学校の訓育は‘忠良な日本人の育成’として一貫していた。
第四に、日本は1925年に‘朝鮮神宮’を建立し、1930年代後半からは学校の訓育として神社参拝を本格的に強要した。神社參拜に対する朝鮮人の抵抗が激しくなると、朝鮮総督府は神社參拜は宗教ではなく国家祭祀だと称し、神社祭典で娯楽性を帯びた付帯行事を実施することもあった。日本が神社の宗教性まで否定しながら信仰と文化が違う朝鮮人に神社参拝を強要したのは、神社參拜自体が植民地の支配に一定の役割、すなわち、朝鮮人を統合する役割を果たしたからである。
このように、普通学校における訓育は植民地が持っている差別的な特性と日本の近代教育の非合理的な特性が内在している二重性格を帯びている。その理由は、植民地教育は同和政策に依拠して行われたにもかかわらず、「同和」というものを教育の場で矛盾するからである。植民地期の朝鮮と日本の教育の実際を比較することで植民地教育に対する批判を‘植民地だけの教育’ではなく‘日本の教育’の非合理的体制にまで拡大することができる。
加えて、本研究の限界点を克服するために次のような三点を指摘したい。
第一に、本研究は普通学校と日本の小学校だけを対象にしたものであり、日本の植民地下の他の国家とは比較できなかった。日本の植民地教育の普遍性と特殊性を明らかにするためには地域的には台湾・満洲・南太平洋の地域などと比較することで重要である。
第二に、普通学校における訓育の性格は植民地期の教育の性格全体であると見なすことはできないため、その他の教育の実際を具体的な事例に基づいて研究する必要性がある。当時の訓育を受けた韓国人と日本人の証言を比較することで、各学校の訓育の実際をより明らかに究明することができる。また、訓育を受けた児童だけではなく訓育を行った教師との面談も必要である。
第三に、植民地期の朝鮮と日本人の ‘個人的’な理解と経験に注目する必要がある。日本人にとって当時‘朝鮮’という空間は就職と階級上昇の機会になる場所であり、朝鮮人にとって植民地期は欧米の文明と接する機会として作用することもあった。学校と制度による社会変化とともに朝鮮人の日常を支配した社会文化的な影響に注目することも植民地の教育史を多角化するために必要である。