今まで論議してきた三足器·高杯·蓋の分析結果を整理してみれば以下の通りである. 有蓋三足器は計測的屬性の中で足分散度 (D/C)·杯身比率 (G/I)·足比率 (K/I)·足位置 (M/B)·足の太さ (L×J/...
今まで論議してきた三足器·高杯·蓋の分析結果を整理してみれば以下の通りである. 有蓋三足器は計測的屬性の中で足分散度 (D/C)·杯身比率 (G/I)·足比率 (K/I)·足位置 (M/B)·足の太さ (L×J/2)など5つの屬性の結合を設定した. 一元配置分散分析の多重比較法を通して. このような屬性はすべて時間と密接な關係があることが分かった. 足分散は泗비期に行くに從って小さくなる. 杯身比率は泗비期に行くに從って小さくなるが. 足比率は大きくなる. これは時間が過ぎていくにしたがって杯身が淺くなり足が長くなることを意味する. 足位置は漢城期に杯身の中央に集まっていたものが. 泗비期には杯身の最大徑に近いところに位置するようになる. 足の太さは泗비期に行くにしたがって太くなる. これは足比率とある程度關係があるものと思われる.
漢城期·熊津期·泗비期として時期設定が無理なものについては, 計測的屬性の傾向性を通した判別分析を活用して統計學的に時期を設定した. 定林寺石塔の伽藍造成整地土層から3つの有蓋三足器が出土したが. 判別分析の結果1つは熊津期, 2つは泗비期と設定することができた. しかし, 泗비期と分類したもののなかの1つは形態的な面から熊津期に近い. つまり定株寺造成時期が熊津期から泗비期に移行する時期に行われた可能性があり, 泗비期の遺跡として知られている扶餘軍守里·東南里·염倉里からも統計學的に熊津期に近い三足器が確認されているため, 泗비都城の都市計畵が熊津期末から進行したという學會の見解を裏付ける結果となった.
名目的屬性では肩部形熊(肩部形熊1~4) と足部形態 (足部形態1~2) を抽出した. 時期と名目的屬性の交差表から肩部形態1は肩部形態4に, 足部形態1は足部形態2にと時間的變化を確認することができた.
一元配置分散分析の多重比較法から地域間の計測的屬性の差異を統計學的に檢討し, また. 統計學的な差異を認定できる範圍的から地域的差異を設定し, 統一な圈域と認識できる遺跡は圈域を設定し比較した. ここで地域的特徵をよく反映しているものと考えられる口綠部比率を新しく計測的屬性に追加した. 漢城期では表井里出土三足器の足位置及び口綠部比率から地域的特徵を確認することができた. 熊津期では新能里出土三足器の杯身比率と足比率から地域的特徵を確認することができ, 泗비期では花山里出土三足器の足比率と足位置から地域的な特徵を採すことができた.
名目的屬性の地域的特徵を見ると肩部形態かみはっきりした差異を確認することができた. 漢城期の肩部形態は漢城都城地域からすべての肩部形態が確認したが, 神衿城および龍仁水枝からは肩部形態2, 新鳳洞·笠店里·新龍里からは肩部形態3, 熊浦里と表井里からは肩部形態4だけを確認した. っまり, 肩部形態3·4は現在の論山と益山地域から集中的に確認できる. 漢城期の足部形態は大體足部形態1が集中的に確認されているが, はっきりとした地域的特徵を確認することはできなかった. 熊律期以降の三足器からは肩部形態1が消滅し. 肩部形態3·4が主流をなす. 具體的に肩部形態3は山儀里·芽村里および扶餘地域から確認できた. 熊津期の足部形態ははっきりとした地域的差異を確認することができなかったが, 足の爪先を折った新しい形態が熊津期にだけ限定的に現れている. 泗비期の肩部形態は肩部形態3·4だけが確認でき, 特に肩制形態3は九龍里の地域的特徵と見ることができる. 泗비期の足部形態は足部形態2が主流をなすが, 山儀里と花山里は足部形態1が集中的に確認された.
このような現象は百濟が構穴式石室を王室墓として採擇する背景および黑色磨究土器の時空間的分布範圍, そして深鉢形土器から見た漢城百濟の領域確定過程などについての硏究見解と連結することができる. いわゆる漢城期地方樣式の特徵である肩部形態3·4が熊津期以降主流をなすことは, 外部的要因によって王室が熊津に遷都, これによって地方樣式の土器製作技法が中心的な製作技法として轉嫁した結果であることを意味している.
肩部形態と足部形態の結合によって總7つの型式を設定した. このょうな型式と時間との關係を二元配置分散分析を通して比較し, 計測的屬性の時間的變化を抽出して編年表を作成した.
有蓋高壞では足分散度(D/C)·杯身比率(J/E)·足比率(G/E)·足位置(C/B)·口綠比率(H/F)など5つの屬性の結合を設定した. また, 時期設定が無理なものについては計測的屬性の傾向性を反映した判別分析を活用して統計學的に時期を設定した. その結果, 一元配置分散分析の多重比較法を通してこのような屬性はすべて時間と密接な關係があることが分かった.
足分散は泗비期に行くに從ってその比率が大きくなる. これは泗비期に行くにしたがって足が大きく廣がるということを意味する. 杯身比率は泗비期に行くにしたがって小さくなるが, 足比率は大きくなる. これは時間が過きていくにしたがって杯身が淺くなり足が長くなることを意味し. このょうな現象は三足器の變化樣相と同一である. 足位置は泗비期に行くにしたがってだんだん杯身の中央に足が集まる傾向が見える. 口綠比率は泗비期に行くにしたがってだんだん長くなる傾向を確認した.
名目的屬性では肩部形態 (肩部形態1~4) と足部形態 (足部形態1~2) を抽出した. 時期と名目的屬性の交差表から肩部形態1は肩部形態4に, 足部形態1は足部形態2にと時間的變化を確認することができた.
一元配置分散分析の多重比較法から地域間の計測的屬性の差異を統計學的に檢討し. 統計學的な差異を認定できる範圍的から地域的差異を設定した. その結果, 漢域期の遺跡である夢村土城·美沙里·龍仁水枝出土の高壤と益山間村里の足分散から, また熊津期の遺跡である新龍里·堂北里出土の高壤と茅村里の高壤の足分散から地域的な差異を確認することができた.
名目的屬性の地域的特徵を見れば, 泗비期では漢城都城地域からすべての肩部形態が出土しているが, 肩部形熊3·4は論山地域と益山地域から集中的に確認した. 漢城期の足部形態は大體足部形態1が集中的に確認できたが. はっきりとした地域的な特徵を採すことはできなかった. 熊津期の肩部形態は肩部形態3·4が主流をなすが, 特に茅村里では肩部形態4, 熊浦里·新龍里では肩部形態3が集中的に發見されている. 熊津期の足部形態は茅村里で足部形熊2が集中的に確認された.
このような現狀は三足器の樣相と同一であり, やはりこれは百濟王室の熊津遷都と中央樣式の變化という脈絡から理解することが可能である.
肩部形態と足部形態の結合によって總7つの型式を設定した. このょうな型式と時間との關係を二元配置分散分析を通して比較し, 計測的屬性の時間的變化を抽出して編年表を作成した.
有蓋三足器と有蓋高壤と深い關連がある器種は蓋であるが, 百濟の蓋の組形態は約10つの種類に分類することができる. しかし, このうち7つは個體數が少なく, 統計學的な方法を使用しての分析が困難なため, 室珠形·圓筒形·環狀形の무を中心に分析した.
寶珠形の蓋の名目的屬性は寶珠形態 (寶珠形態1·2)·稜形態 (稜形態1·2)·製作技法 (製作技法1·2) に分類した. 筆者が分類した寶珠形態2は泗비期に確認できる. 日本の場合寶珠形の蓋を銅製托盞を模倣して製作されたものと理解しており, 筆者も寶殊形態2は武寧王陵出土の銅製銀盞の登場と深い關連があるものと考えている. 製作技法からは泗비批期に確認できる風船技法の有無で分類した. その結果, 寶珠形熊1→2, 稜形態1→2, 製作技法1→2という時間的變化を確認することができた. このような名目的屬性の結合を根據として總3つの型式を設定した.
計測的屬性は寶珠形の蓋の時間的變化をよく反映していると思われる무接合部分の長さ(G/I) を抽出した. 一元配置分散分析の多重比較の結果, 漢城期の무接合部分の長さは泗비期に比べて長く, 泗비期に行くにしたがって短くなるという傾向が見られる.
また, 設定した型式と計測的屬性との關係を見るため, 口綠比率 (E/F) と杯身比率 (D/F) という計測的屬性を抽出し, 多重比較法を實施した. その結果, 同じ무形態を持っていても製作技法 (風船技法の有無) にしたがって使用される器種も分離されていることがわかった. 口綠が短く杯身比率が大きい3型式は, 風船技法で製作された臺付椀の蓋と設定できるであろう.
圓筒形の蓋の名目的屬性は圓筒形態 (圓筒形態1·2)·稜形態 (稜形態1·2)·杯身形態 (1~4) に分類できた. 時期と名目的屬性との相關關係を見た結果, 大體圓筒形態1→2, 稜形態1→2, 杯身形態 (1→3·4) という時間的變化を確認することができた. このような名目的屬性の結合を根據として總5つの型式を設定した.
型式と計測的屬性 (口綠比率·杯身比率) との相關關係を見ると各型式が10つ未滿であるため, 統計學的に意味がある一定の傾向を採すことはできなかったが.�圓筒形態と稜形態の結合 (圓筒稜1~3) で多少の相關關係を探すことができた. 大體圓筒稜3が他のものと比べて口綠が短く, 圓筒稜1の杯身が他のものと比べて大きいことが確認できた.
環狀形の蓋の名目的屬性は環狀形態 (環狀形態1·2)·杯身形熊 (1·2) に分類することができた. 時期と名目的屬性の相關關係を見ると. 環狀形態だけ少しの時間的變化を確認することができた. したがって, 型式は環狀形態だけを基準にして設定した. また, 環狀形の蓋からだけ風船技法が確認できず. また熊津期から出現するという點を確認した. 型式と計測的屬性 (口綠比率·杯身比率) のT檢定を實施した結果, 計測的屬性と型式間には差異がないことがわかった.
分類した蓋類と地域の特徵を見た時, 三足器と高壤に比べてはっきりとした時期の個體數が少ないため. 統計學的に意味がある地域の差異を抽出することがとても困難だった. ただ圓筒形の着で1型式が表井里から集や的に出土しているため, 特有な表井里の蓋型式だと言うことができるであろう.
以上の結果をふまえて, 百濟全般にわたった有蓋三足器有蓋高壤·蓋の變化樣相を段階を設定して詳しく見た (圖91). 各段階は時間的變化と地域的特徵が比較的明確に確認できた有蓋三足器と有蓋高壤を中心に設定したが, 特にこのニつの器種は杯身に足が接合した土器製作の共通の過程を想定できる.
第1段階は三足器と高壤の出現期で, 全般的な百濟土器の編年硏究を考慮するなら漢城期Ⅰ期に該當する. この段階には肩部形態1だけが存在する.
第2段階は漢城期Ⅱ期から熊津期前半にあたり, 三足器と高新の轉換期と理解することができる. 以前の段階のに比べて多樣な型式が出現し, 熊津前半期には漢城期に地方樣式の特徵と認識していた肩部形態3·4が中心的な製作形態として定着する. また三足器の場合, 肩部形態1が消滅するが高壤では繼續的に活用しているため, 三足器と高壤の製作についての槪念に多少の差異が發生したものと推制される.
全體の器高から杯身部の比率が占める比重が足の部分に比べて相對的に大きく, 三足器の足の製作で足の端部分を外に向かって折る技法がこの段階にだけ確認された. このょうな足の部分的な成形技法はこの段階にだけ一時的に流行した足製作の變形技法で熊津の特徵である.
この段階を大きく前期と後期と匿分するなら, 前期は漢城Ⅱ期, 後期は熊津前期と設定することができる. しかし, 全般的な分析器種の變化ヒからは前期と後期が共通的に理解できる部分が多いため, 同一の段階と設定した. ただ, 寶珠形と圓筒形の蓋が漢城期から泗비期にわたって確認できる反面, 環狀形の蓋は熊津前期に登場する點, そして漢城Ⅱ期の夢村土城出土の三足器が論山表井里および洪城神衿城出土品ととても類似しているため, 同時期に夢村土城を中心とした地方との相互交流關係を探すことができるという點は第2段階の前半と後半の特徵だということができる.
第3段階は熊津末から泗비前期にあたり, 三足器の定着期だということができる. 杯身部の肩部形態3·4が主流をなし, 全般的に杯身の形熊が低くなり深度が淺くなる. 足の部分が全體の器高から占める比率が急激に場加し, 以前の段階とは器形ヒ明確な差異が確認できる. 高壤の出土比重が激減し, 消滅する樣相がこの段階から確認できる. また泗비期を中心とした第3段階の後半には蓋の製作において風船技法が登場し, 寶珠形の蓋が主流をなす.
最後に三足器と高壤の型式が以前の段階に比べて單純で定型化されている. これらの器種をより效率的に大量生産する過程で相對的に勞動力と時間を前減することができる肩部形態3·4または杯身比率の減少など細部的な製作技法が主に採操され活用された. このような製作技術の變化および大量生産の樣相は三足器と高壤についての社會的認識の變化が原因であったと推測できる.