RISS 학술연구정보서비스

검색
다국어 입력

http://chineseinput.net/에서 pinyin(병음)방식으로 중국어를 변환할 수 있습니다.

변환된 중국어를 복사하여 사용하시면 됩니다.

예시)
  • 中文 을 입력하시려면 zhongwen을 입력하시고 space를누르시면됩니다.
  • 北京 을 입력하시려면 beijing을 입력하시고 space를 누르시면 됩니다.
닫기
    인기검색어 순위 펼치기

    RISS 인기검색어

      검색결과 좁혀 보기

      선택해제
      • 좁혀본 항목 보기순서

        • 원문유무
        • 원문제공처
          펼치기
        • 등재정보
        • 학술지명
          펼치기
        • 주제분류
        • 발행연도
          펼치기
        • 작성언어
        • 저자

      오늘 본 자료

      • 오늘 본 자료가 없습니다.
      더보기
      • 무료
      • 기관 내 무료
      • 유료
      • KCI등재

        한국(韓國) 일본어(日本語) 사전(辭典)에 관한 고찰(考察)

        한중선 한국일본어문학회 2011 日本語文學 Vol.50 No.-

        開化期の日本語の?書編纂は1906年の『日韓?話?典』に始まった。1907年に日本では『日韓いろは?典』が刊行された。植民地時代に我が?の言葉が外?語に?わり、日本語が?語となって、日本語?育の?相は急激な?化をもたらした。日本語?習についての書籍が絶えず?行されるようになったのに伴い、日本語?習書と?書が必要になり多くの?書が?行された。この時期の代表的な?書としては『日鮮大字典』(1912)『鮮??語大?典』(1919)『朝鮮語?典』(1920)『鮮和新?典』(1930)『鮮和?引モダン朝鮮外?語?典』(1937)などがあげられる。この時期日本では『?用鮮日?典』が刊行されている。光復以後は『標準日韓?典』(1960)『完壁日韓?典』(1966)『精解韓日?典』(1968)が刊行され、これ以後は多くの日本語?書が登場することとなった。本稿では 日韓?典、韓日?典、漢字?典、外?語?典、その他の?門的な?書に分類し各?書の書誌情報と特?について述べてみた。

      • KCI등재
      • KCI등재
      • KCI등재

        韓國語 女性 三人稱代名詞 「그녀」 成立過程 考察 : 일본어 「彼女」의 번역을 중심으로

        韓中瑄 韓國外國語大學校 外國學綜合硏究센터 日本硏究所 2012 日本硏究 Vol.0 No.54

        現在中学の英語辞典を見ると‘she’の」項目には「그녀(彼女)」という意味が最初に出ている。本稿ではこの「그녀(彼女)」が韓国語において女性三人称代名詞として定着するまでの過程を考察した。本稿では英語の「she」が日本語の「彼女」として成立し日本語の辞書に記述されていく過程と、英語の「she」と日本語の「彼女」を受け入れながら韓国において「그녀(彼女)」が成立していく過程を追ってみた。もともと「그녀(彼女)」は日本語の「彼女」の直訳として使われたという見解と、韓国語独自の造語として使われてきたという二つの見解があるが、これらの語彙が文献に現われた時期を調査して実際に一般的に使われ出した時期は何時からなのかを明らかにする。資料は開化期から光復以前の資料と光復以後に区分して調査した。韓国の英韓辞典は日本の英和辞典を翻訳したものが多く利用されてきた。日本の英和辞典では「she」が「彼女」と翻訳されたが、韓国ではどのように翻訳されて来たのかを調査した。また韓国の英語学習書を時期別に区分して「she」がどのように翻訳されたかも見てみた。その他光復以前の日本語翻訳資料の「彼女」の韓国語翻訳についても調査した。このような調査結果から韓国語の女性三人称代名詞「그녀(彼女)」が実際に韓国語で一般的に使われ出したのは1960年代中盤以降の辞典及び文献からだということがわかった。

      • KCI등재

        개화기 일본어 학습서 소고

        한중선 한국일어일문학회 1994 日語日文學硏究 Vol.25 No.1

        韓國の開化期(1876-1910)には日本語の重要性が日日增大したので, はじめは日本人による韓國人を對象とした日本語學習書が次次に出てきた. また韓國近代敎育が本格的にスタ-トしたと言える甲午改革以降の日本語敎育は諸諸 の要素が絡み合いながら展開された. このような時期の日本語敎育の實態はいかなるものであったのだろうか, なお一般國民は日本語をどのような書物をもって日本語を學習してきたのだろうか, また日本語はどのように敎えられていたのかなどを實證的に究明するためには, まずその當時の資料の蒐集と整理が行われていなければならない. そこで, 本稿では韓國の開化期における日本語の學習書を調べて整理したのである. 本稿では學習書を韓日兩國語學習書·文法書·會話書·一般學習書·敎科書にわけて, 次のようなものを中心に槪觀した. o 國分國夫(1893.10),『日韓通話』, 東京 : 東京築地活版製造社(印刷) o 李鳳雲 境益太郎(1895.06),『單語連結日話朝寯』, 京城 : 漠城新報社(印刷) o 日語雜誌社(1906.07),『日韓會話辭典』, 京城 : 日語雜誌社 o 崔在翊(1906. 11),『普通日本語典』, 漢城 : 日韓圖書印刷株式會社 o 學部編纂(1907. 02∼1908. 03),『日語讀本』(券一∼八), 京城 : 大倉書店(印刷) o 姉原治郎(1907. 05),『日韓いろは辭典」, 東京 : 東邦協會 o 鄭雲復(1907. 09),『獨習日語正則』, 皇城 : 廣學書鋪 o 林圭(1909. 12),『日文譯法』(上), 漠城 : 新文館 o 宋憲奭(1909. 06),『初等自解日語文典』, 皇城 : 廣學書鋪 o 朴重華(1909. 02),「精選日語大海』, 京城 : 朝鮮圖書籍株式會社 o 林圭(1909. 12),『日本語學音·語篇』, 東京 : 以文社 o 所初太郎編(1909. 12),『日語敎科書』( 醫學科第一學年用), 京城 : 大韓醫院 o 朴重華(1910. 04),『高等日文讀本』(卷一·二), 京城 : 光東書局 o 南宮濬(1910. 08),『日語正編』, 京城 : 唯-書館 この時代には日本人のための韓國語學習書が多く出版し始めた. 年表にはこれらを含めて作成した. この外國語としての日本語は 1910年8月日韓倂合後, 日本語は「國語」となり, 多くの日本語學習書がでてくる. これからの硏究課題として開化期にとどまらずこれらをも蒐集整理しようと思う.

      • KCI등재

        일제 식민지시기 교과서 비교연구

        한중선 한국일어일문학회 2000 日語日文學硏究 Vol.36 No.1

        本稿は開化期に使用された『日語讀本』と日帝植民地時代の初期の『訂正普通學校學徒用國語讀本』との相異点と特徵を考察したものである. 『訂正普通學校學徒用國語讀本』は『日語讀本』を當時の狀況に照らし合わせ不適切な內容を改訂したものである. 韓國が植民地になり外國語であった日本語が國語に變ったが, 外國語敎科書として使用された『日語讀本』敎科書を使用しながら, 當時の狀況に適合しない部分を訂正して使用したものである. 表記から內容まで詳しく調査することによって當時の日本語敎育と韓國においての日本語敎科書の變遷を究明するものである. 『日語讀本』は1907年2月に卷一·二·三·四が刊行され, 1908年3月に卷五·六·七·八が發行された. この『日語讀本』は日本『尋常小學國語讀本』の委員であった三土忠造の責任下に編纂されたと推測されている. 『日語讀本』は改訂を重ねて名稱も1909年11月からは『普通學校學徒用日語讀本』に變ったのである. この『日語獨本』は1911年から1915年8月刊行のまで朝鮮總督府編纂『普通學校國語讀本』(全八卷)が刊行されるまで使用された. 本稿では『日語讀本』と『訂正普通學校學徒用國語讀本』を調査對象とし, 形式·語法·內容に分けて比較檢討したのである. 形式面では「歷史的假名遣い」から「表音的假名遣い」へ移動する過程が見うけられる. 語法面では「文語的表現」から「口語的表現」に變っている. 內容面では時期的にある一つの國家が植民地の一つの地方に變る過程でおきた言語の變化が現れている. 今後, 『日語讀本』の改訂過程による變化の調査を課題にしたいと思うのである.

      • KCI등재

        韓國 開化期 日本語 學習書『日話獨習』에 관한 考察

        한중선 한국외국어대학교 일본연구소 2017 日本硏究 Vol.0 No.74

        This paper deals with Japanese Conversation for Self-Study, which was written by a Korean scholar named Son Bunggu in 1905. There are few studies on the Japanese textbooks used by Koreans in the age of modern enlightenment. In other words, the number of studies on Japanese textbooks used by Koreans is much smaller that on Korean textbooks used by Japanese people. There are two reasons. First, there is not much interest in Japanese textbooks for Koreans. Second, the surveys for Japanese textbooks has not been so active until now. In contrast, it is much easier to get the materials on Korean textbooks from Japanese local libraries. That is why the studies for Korean textbooks has been active until now. As a starting point for the study of Japanese textbooks, this paper would like to overview an important material on the area in question. Among the many copies of this book, this study deals with the publications of 1907 and 1909. As for this book’s motivation and author, The Preface of Japanese Conversation for Self-Study, written by Lee Suin, says that the author of the book also had profound knowledge on Korean and he was worried about the negligence of exchange in the area of language translation between the two countries. The author of the book confessed that he had gathered over ten thousand of materials for the publication of the book during his 32-month stay in Japan in his own preface. 本稿は韓国の開化期以降、韓国人である孫鵬九が光武9年(1905年)に著述した日本語の学習書『日話獨習』を研究対象とするものである。 これまでこの学習書に関する研究はほぼなされてこなかったとみることができよう。そこで、本稿では光武11年(1907年)の発行版と隆熙3年(1909年)に発行された版本を元にして研究を行った。『日話獨習』の執筆の動機に対して、李守寅は「日話獨習序」で “我が国のことばの中にも造詣なるものがあり言語通訳等の交流が疎漏になる恐れがあると懸念し、この学習書の編纂を行った”と述べている。また、著者の「自序」では、自身の日本での32カ月間の生活を通して数万以上の材料収集を行い、この学習書を編集したことを明らかにしている。 『日話獨習』の構成は、巻頭諸子、 日話獨習序, 自序, 片仮名·平仮名·伊呂波,本文のように構成されている。本文は「語彙」, 「叢話」, 「会話」となっているが、「叢話」が本文の大部分を占め、「会話」の形式は「叢話」とほぼ同一になっている。 ここに本稿の目的である開化期の『日話獨習』をはじめとして、韓国人のための日本語学習書がどのようなものであったのかを紹介し、今後も継続的に調べていくという方向性をもって日本語の教育に一翼を投じようとするのものである。

      • KCI등재

      연관 검색어 추천

      이 검색어로 많이 본 자료

      활용도 높은 자료

      해외이동버튼